原監督「侍ジャパン卒業」V2の次はV3

[ 2009年3月26日 06:00 ]

村田修一(左)に金メダルを渡し握手する原辰徳監督

 【侍ジャパン】連覇という大きな土産を手に凱旋した原監督に、長旅の疲れはなかった。劇的な“ロサンゼルスの歓喜”から一夜。勝利の余韻に浸りながら、引き締まった顔つきで帰国会見に臨んだ。

 「世界の強者相手に勝ちました。監督として世界一になれたことは大変誇りに思います。途中で村田が離脱して栗原が入った。日本野球人を代表した29人が日本力(にっぽんぢから)を見せつけてくれた」
 「気力と粘り」が日本野球のテーマだった。宮崎合宿から約40日間。さまざまな障害をクリアし世界の頂点に立った。代表監督就任には周囲から反対もされたこともあったが、自身の「運命」と受け止めた。「私は何も言っていません。同じ目的を持って1つになって戦ってくれた。韓国戦を制してチャンピオンになれたのは、日本球界にとっても意義あること。選手たちは今後も野球界を引っ張ってくれると思う」と代表選手への激励も付け加えた。29人でつかんだ頂点。会見ではケガで途中離脱した村田にも、自らの手で世界一のメダルを首にかけた。
 つかの間の休息を経て、巨人の監督に戻る。4月3日の開幕・広島戦(東京ドーム)まで残された時間はわずかしかない。WBC期間中もチーム状況はこまめに報告を受けていたが、自らの目で戦力を見極める。27日の激励会で選手と顔を合わせ、気持ちはリーグ3連覇に切り替える。「この会見を最後に侍ジャパンを卒業します。ジャイアンツの監督として(リーグ)3連覇を目指して頑張りたい」。視線は前を向いていた。
 ロサンゼルスを立つ前の会見では「このメンバーは未来永ごう(に残る)素晴らしい時を刻み、歴史を刻んだ」と誇らしげに言った。個性豊かな選手を束ね世界一を成し遂げた原監督。背番号を83から88番に着替え、もう1つの“セ界一”を目指す戦いに臨む。

 ≪村田 1日遅れてメダル「重い」≫2次ラウンド1位決定戦の韓国戦で右太腿裏を痛め、準決勝を前に無念の帰国となった村田も会見に駆けつけた。原監督から優勝メダルを授与され「メダルは重いです。最後まで頑張りたい気持ちはあったが、初戦から全力でやったから悔いはない」と胸を張った。会見場で隣に座ったチームメートの内川には「世界一のトロフィーに自分のユニホームをかけてくれて最高の気分だった。いい後輩に恵まれました」と感謝していた。

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2009年3月26日のニュース