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10年間港に響く「おかえりなさい」のおもてなし

[ 2016年11月28日 05:30 ]

尚子さんを中心に夫の徳人さん(左)と義弟で船長の公士さん。尚子さん着用のチュニックも手作り
Photo By スポニチ

【釣り宿 おかみ賛】イカ釣りの老舗、腰越・飯岡丸の三浦尚子さん(53)は、“女将”として本格的に働き始めて10年。普段の仕事を行う傍ら、地域の活動やボランティアにも参加するパワフルな女性だ。船長で夫の徳人さん(52)と出会ったのは古都・鎌倉の小さな喫茶店だった。 (入江 千恵子)

 ◎大女将の認知症で大役バトンタッチ
 1963年(昭38)5月、北海道稚内市で尚子さんは生まれた。父は経理担当のサラリーマン、母もパートで経理の仕事をしていた。料理上手な兄と4人家族で、2歳の時に神奈川県葉山町へ越した。

 「進学の時、内地のほうが探しやすいだろう」という両親の思いからだった。県内の女子高を卒業すると電話交換手として働きだした。しかし半年後に母が高血圧で倒れた。母に寄り添うために退職しアルバイトを探している時、鎌倉駅東口の小町通りでたまたま目に入った喫茶店「カルティカ」が求人募集を行っていた。そこは徳人さんが高校生のころから行きつけの店。“看板娘”になった尚子さんにアメリカンを注文した。

 常連客同士で仲が良かった。「店内に自由に書き込めるノートがあって。イベントとか飲み会の日時を書きこんで集まっていたの」。

 当時、徳人さんは北里大水産学部(現海洋生命科学部)の学生。岩手キャンパスから帰省時に参加していた。卒業後は鎌倉に戻り、かじを握っている。

 余談だが、徳人さんは卒論で「魚から抽出したホルモンの分子構造」をテーマにした。インテリ船長なのだ。

 二人が出会った喫茶店はしばらくして閉店したが客同士の集まりは続き、二人の距離も縮まっていった。

 「無口でおとなしいところがいいなと思った」と尚子さん。一方の徳人さんは「明るくて、サバサバしているところがよかった」と顔を赤らめた。

 ◎常連70人「友の会」陰で支える行動派
 29歳のときに結婚。披露宴で着用するウエディングドレスは洋裁教室の先生の指導により自ら作った。新婚旅行は1泊2日で南伊豆へ。結婚後は専業主婦となり、翌年には長男が誕生、続けて次男、長女に恵まれた。

 女将として店に入るようになったのは10年前。きっかけは、昨年12月に亡くなった大女将の洋子さんの認知症だった。様子が普段と違い、会話が難しくなったり、お客さんから「様子がおかしいよ」と助言もあった。道路が渋滞している先で洋子さんがはいかいしていることもあったという。

 慣れない女将の仕事だ。「最初、お客さんの顔を覚えるのが大変だった」と振り返る。常連のお客さんで構成される「友の会」会員は約70人。「釣果が良くなかったときの会話は今でも難しいな」。

 元々行動的な尚子さんは、女将の仕事をする傍ら、町内会役員や青少年の指導員、ネコを保護するボランティア活動にも参加している。

 里親が決まらないネコを「いまは6匹飼っているの」と愛猫たちの写真を見せてくれた。

 現在は仕事の合間に仲間とランチをしたり、ジムで体を動かしたり、パッチワークをしたり…楽しみは尽きない。

 帰港時間が近づくと港に大きなパラソルを立て、お茶と菓子を手際よく並べる。船が着岸後は、お客さんのクーラーボックスを次々と岸壁や車に運び、力仕事も難なくこなす。今日も「おかえりなさい」の元気な声が港に響いた。

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