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“逢うべき糸”夫・喜保さんち二人三脚ボート70艘 西湖・松屋 三浦竹代さん

[ 2018年4月12日 18:26 ]

西湖と山並みをバックに。バンダナが似合う竹代さん。「集めるの、好きなんです」
Photo By スポニチ

 【釣り宿おかみ賛】ヒメマスやブラックバスなどの釣りが楽しめる山梨県西湖・松屋。女将の三浦竹代さん(69)は夫で当主の喜保さん(70)とともに宿泊施設やボートを増やしてきた。その裏には支え合う2人の姿があった。(入江 千恵子)

 ♪なぜめぐり逢(あ)うのかを 私たちはなにも知らない…から始まる中島みゆきの「糸」。25歳の竹代さんも、「なぜその人と出会ったのか」分からなかった。

 喜保さんと結婚するまでに「会ったのは2〜3回」。いとこの旦那さんの紹介でお見合い。一度は断った縁談だったが、周りのサポートで3カ月後に結婚式を挙げた。

 竹代さんは1948年(昭23)6月、山梨県明見町(現富士吉田市)で生まれた。父はダムを造る現場に単身赴任で、母は子育てをしながら内職の織物をしていた。5人きょうだいの2番目の竹代さんは、夕方まで外で遊んでいる元気な少女だった。

 中学に入り、父が単身赴任から戻ると糸を織る機械が4台に増え、家は織物の仕事がメインになった。

 富士吉田市周辺の織物の歴史は古く、「甲斐絹(かいき)」をはじめとする甲州織物は明治以降、近代産業として地域を支えた。

 中学卒業後、家で背広の裏地や婚礼布団などに使われる生地を作る仕事に就いた。糸を染色したあと、経(たて)糸と緯(よこ)糸を組み合わせ、1枚の生地になる。柄は穴が開いた紋紙を機械に読み込ませ、上下させた経糸に緯糸を挿入することで模様が生まれる。買い付けには大手繊維メーカーの帝人が来ることもあった。

 休日はハイキングクラブで山登りをするのが楽しみで、「地元の山はほとんど登りました」。仲間と青春時代をおう歌した。

 そして25歳の8月、神奈川のトヨタでディーラーをしていた喜保さんとの縁談話。竹代さんは悩んだ末に断ったが「いつの間にか話がまとまっていて」。11月、2人は結婚した。

 前年に喜保さんの父・保久さんが現在の場所で始めた貸しボートは、木のボート4〜5隻からのスタートだった。これまで家の中で働いていた竹代さんは「最初は“いらっしゃいませ”の言葉が出てこなかった」。お客さんを見ると隠れることもあった。

 翌年9月、長女・久美さん(43)を出産。結婚後、山梨のトヨタで働いていた喜保さんは次女・たきさん(41)が生まれる1976年(昭51)に仕事を辞め、宿泊施設を拡充しボートを増やした。78年には三女・志穂里さん(39)が誕生し、母として女将として、奮闘する日々が続いた。

 92年には11部屋に増やし、宿泊人員は最大73人に。音楽ホールも併設して高校や大学の吹奏楽部など合宿にも対応できるようになった。ボートも70隻になり、釣りと合宿が重なる時期は午前4時に起床し、釣りのお客さんのボートを出したあとは、宿泊客の朝食、昼食、夕食の準備と片付けが待っていた。

 「でも今思えば、苦労でも何でもないですね」

 竹代さんと喜保さんは正反対の性格で、「私は“いいよ、いいよ”だけど、夫はしっかりしてますね。私のグチも黙って聞いてくれるし…」。

 ♪縦の糸はあなた 横の糸は私…結婚45年。出会うべくして出会った2人は「人生」という一枚の生地を織り続けている。まもなく4人目の孫も誕生する。

 ▼釣況 東日本釣宿連合会、西湖・松屋=(電)0555(82)2501。

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