阪神・糸井 会見でも“超人節”「ペットの育て方で僕は育てられました」引退後は「筋肥大したい」

[ 2022年9月14日 05:15 ]

阪神・糸井嘉男 引退会見 ( 2022年9月13日 )

笑顔で心境を語る糸井(撮影・大森 寛明)
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 さらば、超人――。阪神・糸井嘉男外野手(41)が13日、今季限りでの現役引退を発表した。兵庫県西宮市内のホテルで行った会見では決断に至った理由を明かし、19年間の選手生活を振り返った。2003年に自由獲得枠で投手として日本ハムに入団も、06年に野手転向。以降、首位打者1度、盗塁王1度など輝かしい実績を残すとともに、ユニークな言動で愛された超人は21日の広島戦(甲子園)で引退試合とセレモニーを行い、ファンに直接、別れを告げる。

 背番号7のユニホームで会見場に現れた糸井は白い歯を見せ、スッキリとした表情だった。「昨日、泣きすぎて一睡もしてないので今日は泣きません」。冒頭に宣言した通り、終始、笑顔を貫いた。

 「この2、3年は自分の中で引退ということは常に頭にありました。成績も、打席での感覚だったり…。周りから見ているより、自分の方が、誤差は感じていました」

 加齢による衰え、故障…。「超人」という仮面の裏には日々、不安と闘う糸井がいた。今季は2年ぶりに開幕スタメンを勝ち取り、本塁打を含む3安打で好発進。だが5月上旬のぎっくり腰から低迷し、8月以降は2軍暮らし。そんな中、自らの胸中に新たな心境が芽生えていることに気づき、潮時を悟った。「若手に助言して試合でホームランを打っているのを見ると、心の底からうれしかった。でも、それって、もう選手じゃないのかなと感じた」

 紆余(うよ)曲折のプロ人生。03年に投手として日本ハム入団。だが実質2年で投手の「クビ」を宣告され、06年に野手転向。高田繁ゼネラルマネジャー(GM)から「1年で結果を出さないと野手も見切る」と突き放され、心に火が付いた。

 プロ入り後に投手から野手に転向した例では川上哲治、王貞治ら往年のスター選手がいるが、大卒の糸井の境遇とは異なった。打者としての経験も実績もない中で、25歳で打者に本格挑戦。当時の福良淳一2軍監督(現オリックスGM)、大村巌2軍打撃コーチ(現DeNA2軍打撃コーチ)からの熱血指導で手の皮がバットから離れなくなるくらいスイングを重ねた。「(大村コーチは)犬のペットの育て方みたいな本で教えるヒントを得ていて、ペットの育て方で僕は育てられました」と逸話!?を交えつつ当時に思いをはせた。そして胸を張った。

 「ピッチャーから野手になると決断した時からの出来事というのは、アスリートとして、選手として誇れるかなと思います」

 19年間で一番、誇れることは首位打者でも盗塁王でもなくガムシャラな日々。そして心に刻みつけられているのは聖地の大歓声だ。「甲子園で初めて大歓声の中でプレーさせてもらった時の、あの興奮というのは忘れないですし、幸せでした」

 会見では「(引退後は)筋肥大したい。パンプアップです」と糸井節も忘れなかった。来季は球団の用意するポストに就く見込みだが、その先に新たな青写真も描く。「何らかの形で、プロではなしに、野球の発展につながるのであれば、指導に携われたら」。糸井嘉男の夢は続く。(長谷川 凡記)

 ◇糸井 嘉男(いとい・よしお)1981年(昭56)7月31日生まれ、京都府出身の41歳。宮津では甲子園出場なし。近大では4年春に5勝を挙げてMVP。03年ドラフト自由獲得枠で投手として日本ハム入団。06年途中に外野手へ転向し、09年から6年連続で打率3割をマーク。13年1月にトレードでオリックスへ移籍。16年オフにFA権を行使して阪神に移籍。13年第3回WBC日本代表。1メートル88、99キロ。右投げ左打ち。

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