明秀学園日立、夏は初甲子園 “骨折”佐藤、巨人・坂本魂サヨナラ2ラン「甲子園でも本塁打を打ちたい」

[ 2022年7月28日 04:30 ]

第104回全国高校野球選手権茨城大会決勝   明秀学園日立4―2土浦日大 ( 2022年7月27日    ノーブルホームスタジアム )

<明秀学園日立・土浦日大>9回、夏の甲子園初出場を決めるサヨナラ2ランを放ち、喜びを爆発させる佐藤(撮影・木村 揚輔)
Photo By スポニチ

 第104回全国高校野球選手権大会(8月6日から17日間、甲子園)の出場を懸けた地方大会は27日、各地で30試合が行われた。茨城大会の決勝は明秀学園日立が土浦日大に4―2で勝利。同点の9回に佐藤光成外野手(3年)が左翼席に弾丸ライナーのサヨナラ2ランを運んだ。今春も含めて選抜は2度出場経験があるが、夏は初出場。聖地でもチーム一丸で白星を目指す。

 諦めなければ、野球の神様はこんなにも劇的なドラマを用意してくれる。9回2死二塁。打球の行方を見届けた佐藤は、夏空に向かって右手を突き上げた。夏の初出場を決めるサヨナラ2ラン。野球を続けたからこその、最高の瞬間だった。

 「うれしい。自分のことを信じてつないでくれて…。ありがとうと言いたい」。準決勝まで14打数10安打の打率・714も、この日は4打席目まで無安打。大きく腫れた右手薬指。4回戦の鹿島学園戦の守備で打球を当て第1関節を痛めた。「トレーナーに“多分、骨折している”と言われた」。鎮痛剤を飲み強行出場。練習では満足にスイングできない状態でも快音を響かせた。あの一本の電話がなければ、響いていないはずの快音だった。

 「野球が面白くなくなって…。練習が厳しくて体力的、精神的にもやめる決断をした」。1年生の秋。金沢成奉監督に退部を申し出て、佐藤は宮城県大崎市の実家に帰った。指揮官に怒られ、厳しさに心が折れた。だがその4日後、金沢監督が自ら迎えに来てくれた。そして差し出された携帯電話。通話の相手は巨人・坂本だった。

 「坂本さんには“確かに監督は怖い人だけど思いやりもあるんだよ”と。当時のエピソードも聞きました」。金沢監督は坂本の光星学院(現八戸学院光星)時代の恩師。坂本の言葉で期待してくれているからこその厳しさだったことも理解した。「自分は迷惑しか掛けてこなかった。チームのため、監督さんのためと思ってやっていた」。思いは通じた。

 実は9回、金沢監督は故障を抱える佐藤に代打を出そうか迷った。しかしナインから「(佐藤)光成に懸けましょう!」の声が飛んだ。佐藤を信じた指揮官は「思いとどまって良かった」と笑う。

 「甲子園でも本塁打を打ちたい」と佐藤。まだまだ夢の続きが見られる。野球を続けてきて本当に良かった。

 ◇佐藤 光成(さとう・こうせい)2004年(平16)5月20日生まれ、宮城県大崎市出身の18歳。小2の時に大崎ジュニアドラゴンズで野球を始める。中学では宮城仙北ボーイズに所属し、3年時に捕手として日本代表に選ばれ第38回世界少年野球大会で優勝。家族は両親に姉、兄。好きな選手は楽天・浅村。1メートル81、82キロ。右投げ右打ち。

 ≪ソフトバンク小久保2軍監督のおい 同部屋・快栄に感謝≫佐藤は寮では、ソフトバンク・小久保裕紀2軍監督のおいである小久保快栄(3年)と同部屋だ。1年秋に一度、退部を決意した際にも小久保らに相談。「やめないでほしい」と訴えられたという。復帰を決めた際には、「戻ってきてくれてありがとう。また一緒に頑張ろう、と言われた」と佐藤。仲間の思いに感謝していた。

 ▼土浦日大・小菅勲監督(4年ぶりの甲子園出場ならず)相手が上でした。今日は(選手の)硬さが取れなかった。

続きを表示

この記事のフォト

2022年7月28日のニュース