日本ハム・新庄監督 小6時に自ら「長丘ファイターズ」設立 野球人生の出発点

[ 2022年3月26日 05:30 ]

パ・リーグ   日本ハム1―4ソフトバンク ( 2022年3月25日    ペイペイD )

BIGBOSSが小学生時代にデザインしたユニホームを身につける長丘ファイターズの後輩たち(長丘ファイターズ提供)
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 惜しくも初陣で初勝利は挙げられなかったが、地元の福岡でファンを魅了した日本ハム・新庄監督。その野球の原点も「ファイターズ」だった。

 小学6年時に自ら設立したのが「長丘ファイターズ」。チーム名は造園業を営んでいた父・英敏さん(11年死去)所属のソフトボールチーム「テンプルファイターズ」に由来する。テンプルは福岡市内にある寺塚の地名から取られ、当時指揮官が通っていた長丘小と合わせて命名された。

 当時コーチで現監督の植木和生氏(76)は「剛志はサッカー少年だったけど校区のソフトボール対抗戦で身体能力の高い剛志が駆り出されてきた」と述懐する。その大会は決勝で敗戦。観戦していた植木氏は悔し涙を流す新庄少年に「悔しいやろ。野球やるか?」と問うと「やりたい」と返ってきた。「“明日までに9人そろえたらチームをつくってやる”と言ったら本当にそろえてきた」と振り返る。これがビッグボスの本格的な野球人生の出発点となった。

 ユニホームのデザインも自ら考え、設立40周年の今も不変。父・英敏さんとソフトボールチームの同僚でもあった植木氏は「お父さんはいくら酔っぱらっても人の悪口を言わなかった。剛志も一緒。常に前向きで周りを明るくさせていた」という。昨年11月の就任から球界に明るい話題を提供する新庄監督。企画力、組織づくりの原点でもある福岡で、節目の一歩を踏み出した。(東尾 洋樹)

 ≪後輩 ユニホーム姿で2試合観戦≫「長丘ファイターズ」の後輩たちは26日と27日の2試合をペイペイドームで観戦する。植木監督は「剛志がデザインしたユニホームを着て球場に行きます。観客席にいても目立つと思うので剛志の目に届けば」と力を込めた。一昨年にはテレビ番組の企画で新庄監督が後輩たちと対面。植木監督は「ノックまで打ってくれた」と改めて感謝していた。

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2022年3月26日のニュース