羽生 決断の背景 4回転半の夢と理想の演技 右足首のケガ、度重なるルール変更

[ 2022年7月20日 05:25 ]

羽生結弦 プロスケーター転向

会見に臨む羽生結弦(撮影・小海途 良幹)
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 羽生は幼い頃から五輪連覇の夢を思い描いてきた。その目標を果たした平昌五輪から北京五輪までの4年間、気持ちは揺れていた。「努力している方向を間違っているのかな、本当に頑張れてないのかな」。試合が終わるごとに、多くの感情が湧いたという。

 平昌後、最大のモチベーションでもあった4回転半への挑戦を続けた先に待っていた北京五輪。世界初認定されたことで、少しだけ留飲を下げた。ただし、高難度のジャンプへ挑戦し続けてきた肉体は、いつも故障と隣り合わせだったのも事実だった。

 右足首は全てのジャンプを着氷する際に使うが、平昌五輪シーズンに4回転ルッツの練習中、大ケガを負った。長期離脱で痛みがなかなか引かず、悪い時は通常の量の4倍も痛み止めを服用したという。「切れる靱帯(じんたい)もないぐらいなのですぐに骨が当たったり、無理したところのじん帯が切れたりする」。高みを目指し続ける精神に、肉体は追いつかなくなっていた。

 さらに、度重なるルール変更もあった。4回転半への挑戦を公言したあと、平昌五輪後に、その基礎点は15点から12・5点に下がった。今季からは表現面を採点する演技点が5項目から3項目へ再編成された。年々、変化への適応が求められ、トレンドも変わっていく。「毎年ルールが少しずつ変更になり、また、いろんなことがあるかもしれない」。競技会という枠組みだけでは、幼少期から理想とする「心から何かを感じられる演技」を行うのは難しい。だからこそ違う舞台を求めた。

 4回転半に挑み続ける中で、自らの演技の幅を広げられる可能性も見えたという。「新たなスタートとして、次のステージに向かいたい」。世界の頂点に立った競技会の経験をフルに生かせる場所こそが、プロの舞台だった。

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2022年7月20日のニュース