北京パラ 夏経て日の丸アスリート 二「冬」流の挑戦 スキー距離・有安 オールをポールに持ち替えて

[ 2022年3月5日 05:30 ]

北京冬季パラリンピックの本番会場で調整する有安諒平。右はガイドスキーヤーの藤田佑平さん
Photo By 共同

 北京冬季パラリンピックは5日から競技が始まる。日本選手団は新型コロナウイルスに感染して現地入りが遅れていた選手1人が4日に中国入りし、全29人が参加する。その中には夏冬の両競技に挑むパラアスリートたちがいる。東京パラ閉幕から約半年。ノルディックスキー距離(男子視覚障がい)に出場する有安諒平(35=東急イーライフデザイン)はボートとの夏冬二刀流として初の冬季パラに挑む。

 水上から、雪上へ。有安が戦いの場を移した。東京パラリンピックにボート混合かじ付きフォアで出場(12位)してから約半年。推薦枠で日本選手団最後に北京切符をつかみ、冬季パラ初出場にこぎつけた。

 元々は、ボートのトレーニングの幅を広げる一環としてスキーを始めた。滑っていくうちに「しっかり力を入れてやっていこう」と決意。20年11月から東京と北京に向け、本格的に二刀流として始動した。

 スキーは初心者のため、ゼロからのスタートだった。最初はボートと並行して取り組み、東京パラが終わった8月末からは休むことなく、毎日練習し急成長。ボートのオールでこぐ動作が、距離スキーのポールを引く動きに生かされ、感覚をつかんでいった。

 15歳の時に黄斑ジストロフィーを発症し、視野の中央が欠ける視覚障がい者となった。キャッチボールもできない。球技では味方と敵の区別もできない。「スポーツをすると、目が悪いのを思い知らされる」。厳しい現実を突きつけられた。人生を変えてくれたのは、パラスポーツだった。「視覚障がいが、パラリンピックに出場するためのチケットになる」。初めて、自分の障がいを前向きに捉えることができたという。

 モチベーションは、パラスポーツの魅力を伝えることだ。「知ってもらうために活躍して、良さを伝えたい」。まずは7日の20キロクラシカルに出場予定。思いを届けるため、初の冬の舞台を全力で駆け抜ける。

 ◇有安 諒平(ありやす・りょうへい)1987年(昭62)2月2日生まれ、東京都出身の35歳。医療関係の仕事を経て、現在は競技と並行して理学療法士兼大学院生。杏林大医学研究科の博士課程で医学研究の道を進む。

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