野球少年が!車いすバド初代王者 19歳・梶原「楽しもう」世界ランク1位破り頂点

[ 2021年9月6日 05:30 ]

東京パラリンピック最終日・バドミントン ( 2021年9月5日    国立代々木競技場 )

金メダルを手に笑顔の梶原(撮影・光山 貴大)
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 男子シングルス(車いすWH2)決勝で19歳の梶原大暉(日体大)が韓国選手を2―0で破って優勝した。村山浩(47=SMBCグリーンサービス)と組んだ男子ダブルス(車いす)でも銅メダル。女子ダブルス(車いす)では里見紗李奈(23=NTT都市開発)が山崎悠麻(33=同)とのペアで前日のシングルスに続いて2冠を達成し、日本は新採用の競技で合計9個のメダルを量産した。

 一進一退の接戦に決着をつけたのは、野球仕込みの鋭いスマッシュだった。19歳の梶原が世界ランク1位の強敵・金正俊を破って新競技の初代王者に輝いた。

 「目標にしてきた選手に勝つことができて凄くうれしい。挑戦者で失う物は何もない。せっかくのチャンスなので思い切って楽しもうとプレーしました」

 小学3年から始めた野球ではエースだった。中学2年だった15年夏、自転車で野球の練習に向かう際にトラックと衝突。右大腿部から下を切断し、車いす生活が始まった。

 転機は高校1年の時だ。ソーシャルワーカーにパラ競技を勧められた。バドミントンの見学に行くと、ラケットを振ってコートの奥までシャトルを飛ばす動作には投球と共通点があった。チェアワークにも目を奪われ「車いすに乗っているとは思えない動きの速さに衝撃を受け、自分もやってみたいと思いました」と振り返る。

 競技1年目の17年、日本選手権で準優勝。急成長で東京パラ出場へとこぎつけた。ダブルスでペアを組む村山を見習って半年前からは筋トレを開始。「ベンチプレスは30~40キロでヒーヒー言っていたのが今は70キロぐらい。筋力アップがチェアワークにつながっています」。疲れにくくなった前腕でホイールを押し、素早く落下地点に入ることで、十分な姿勢から打つことが可能になった。

 父親と同じ47歳の村山との“親子ペア”で制したダブルスでも銅メダルを獲得。3年後のパリ大会へ「シングルスで連覇を目指してダブルスでも金メダルを獲って2冠を達成したい」と力を込める。頂点に立ったことで競技普及への責任感も芽生えた。車いすテニスを引っ張る国枝に触れ「まだ19歳。先は長いと思うので国枝選手のような(競技の)顔になるような存在になりたい」と宣言。夢を乗せた翼で羽ばたいた。

 【梶原 大暉(かじわら・だいき)】

 ☆生まれ 2001年(平13)11月13日生まれ、福岡県出身の19歳。日体大在学。

 ☆野球少年 小学3年ごろから野球一筋。投手としてチームを引っ張り、中学時代の「福岡ベースボールクラブ」では新チームでエース番号をもらった夏に事故。

 ☆適性 バドミントンでも生かされている野球時代の経験は強肩に加え「フライを追う際の空間把握能力が、シャトルの落下地点に向かう時に生かされていると言われます」と梶原。

 ☆親子ペア 父親と年齢が同じでペアを組む村山に関し「自分の心の支え。懐が深く(最初は)気を使って話し掛けてくれて」。草野球経験者の村山とプロ野球の話題で盛り上がることも。

 ☆評価 金正子ヘッドコーチは「勉強熱心で好奇心が強い。闘争心を持っている。どんどん技術を盗む」と高評価。

 《新採用バドで強さ証明、9メダル》新採用のバドミントンは金3個を含む計9個のメダルを獲得。金正子ヘッドコーチは「うれしい限り。これだけできると証明してくれた」と話した。コロナ禍で実戦機会が失われたが、スポンサー提供による体育館や味の素ナショナルトレーニングセンターで合宿を積み重ねた。体幹中心の徹底的な肉体強化や、健常者選手とのスパーリングなど準備は周到で、惨敗した五輪の日本勢とは対照的な結果となった。

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