ボッチャ日本勢初!個人で杉村が金!“火ノ玉ジャパン”エース、ノーミスでリオ王者に完勝

[ 2021年9月2日 05:30 ]

東京パラリンピック第9日・ボッチャ ( 2021年9月1日    有明体操競技場 )

ショットを決め、雄叫びを上げる杉村(撮影・光山 貴大)
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 個人(脳性まひBC2)決勝で杉村英孝(39=伊豆介護センター)が前回16年リオデジャネイロ大会王者のタイ選手を5―0で圧倒し、同競技では日本初となる金メダルを獲得した。個人での日本人初メダルを確実にしていた中、チームで2位になった前回大会から競技力向上に取り組んできた5年間の成果を発揮。愛称“火ノ玉ジャパン”のエースが、世界の頂点に立った。

 感情が高ぶった。金メダルを決め、スタンドの仲間に笑顔を見せていた杉村は、内藤由美子コーチから抱き寄せられると瞳が潤んだ。「この5年間、内藤コーチと取り組んできたことをチャレンジして出していこうと大会を迎え、金メダルにつながってうれしい」

 リオ大会金メダルの強敵を圧倒した。第1エンドで2点を先行すると、ジャックボール(目標球)にピタリピタリと球を寄せた。要所でミスが出て顔をしかめた相手に対し「自分はミスをせず、しっかり突いていくことができた。そこが勝った要因の一つ」。第2~4エンドはいずれも1―0で、最後の球を投げない“ノースロー”の完勝だった。

 コロナ禍による大会延期。自身を含めてボッチャには重度障がい者の選手が多く、顔を突き合わせる練習や合宿の機会は激減した。それでも「自分を見つめ直しながら取り組める時間が逆に増えた。悪いだけじゃない」と受け止めた。

 チームで銀メダルを獲得したリオ大会後は「競技とシビアに向き合ってきた」と振り返る。脳性まひの選手としては珍しく、筋トレで体幹を鍛え、車いすや球、用具など全てを見直して自らに合ったものをつくり上げた。19年秋には地元・沼津市内に、大会で使用する床素材タラフレックスを敷いた拠点を確保し、貪欲に技術向上に挑み続けた。

 そんなエースには使命がある。注目度が高まる東京パラは競技普及へ最高の舞台。「注目されるのは強いチームと強い選手。一人の選手として結果にこだわりたい」。見事な有言実行だった。「見た方が凄いな、面白いな、格好いいなと思ってくれたら。障がいがある人もない人も関係ない。そういうきっかけが大会を通じて生まれてくれたらうれしい。この金メダルで、より効果があれば」。磨き抜いた球を動かす技術と、先を読み合う駆け引き。競技の魅力を見せつけた上で、杉村が世界一になった。

 【杉村 英孝(すぎむら・ひでたか)】

 ☆生まれ 1982年(昭57)3月1日生まれ、静岡県伊東市出身の39歳。伊豆介護センター所属。

 ☆競技開始 静岡市内の特別支援学校の高等部3年時に先生の勧めで競技を開始。初めて出場した静岡県内の大会で団体3位に入る。10年アジアパラ大会の個人戦BC2で5位。11年W杯で団体準優勝に貢献。日本選手権は5回優勝。

 ☆パラリンピック 12年ロンドン大会から3大会連続出場。16年リオ大会はチームで銀メダルを獲得した。

 ☆好きなスポーツ サッカー

 ☆夢 クラスや障がいの有無などを問わない「ボッチャ無差別級大会」の開催。

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