羽生、歴史的金1号!「勝たないと意味ない」当日朝に4回転ループ回避決断

[ 2018年2月18日 05:30 ]

平昌冬季五輪 フィギュアスケート男子フリー ( 2018年2月17日    江陵アイスアリーナ )

フリーの演技を終え喜びを爆発させる羽生(撮影・小海途良幹)
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 そして、羽生が伝説になった――。男子フリーは17日、江陵アイスアリーナで行われ、ショートプログラム(SP)1位の羽生結弦(23=ANA)はフリー2位の206・17点をマーク。合計317・85点で男子シングルでは66年ぶりとなる五輪2連覇を達成した。昨年11月の右足首捻挫の重症で、リンクから離れること約3カ月。ぶっつけで挑んだ大舞台で、4つの4回転ジャンプを跳ぶ気迫の滑りを披露。この金メダルが14年ソチに続く五輪2大会連続の日本勢第1号となるとともに、冬季五輪史上1000個目という節目になった。SP3位の宇野昌磨(20=トヨタ自動車)が合計306・90点で銀メダルを獲得し、日本勢がワンツーフィニッシュを飾った。

 王者は勝利を確信して、右手を突き上げた。66年間誰もたどりつけなかった歴史の扉を、こじ開けた。

 「ヤッター!」

 魂の雄叫びを響かせると、氷上にしゃがみこんで、激闘に耐え抜いた右足首をさすった。最終滑走者の演技が終わって順位が確定すると、「スケートができなくなるんじゃないかと思う日々が続いた。ここまで来るのに本当に大変だった」と大粒の涙をこぼした。

 冒頭の4回転サルコーを美しく決めた。直前の6分間練習で4本中1本しか決まらず不安を抱えていたジャンプでGOE(出来栄え評価)最高の3点の加点をもらうと、テンポよくジャンプを決めた。4本目の4回転となるトーループは着氷が乱れたが、回りきった。最終8本目の3回転ルッツもバランスを崩しながら踏ん張った。韓国入り後の公式練習では一度も8つのジャンプを入れては滑らず、足の状態やスタミナが不安視された中で、一度も転ばず、回転も抜かずに全てのジャンプを跳びきった。

 4回転ループ回避を決断したのはこの日の朝。安全策を嫌う男が「勝たないと意味がないと思っていた。この結果が人生につきまとう。大事に大事に結果を取りにいきました」と言った。勝負に徹する覚悟さえ決めれば、あとは全身全霊を演技に注ぐだけだった。

 19歳での戴冠から4年間は「ケガばっかり」だった。14年11月の中国杯では直前の練習で、中国選手と激突し、頭と顎から流血しながらも強行出場した。腹痛で「尿膜管遺残症」の手術も受けた。16年には左足甲も痛めた。そして五輪まで3カ月に迫った昨年11月のNHK杯の公式練習で、右足首を捻挫した。

 どんなに苦しいことが続いても、忘れることのない記憶がある。11年3月11日。故郷・仙台のリンクにいた羽生は、壁が崩れ、破裂した水道管から水があふれ出す中、スケート靴を履いたまま外へ逃げた。避難所で母、姉と家族3人で4日間過ごした。「あれ以上に悲しいこと、苦しいことは今でもない。乗り越えるきっかけになる」。ソチ五輪後、メダルの報告で訪れた被災地の人たちの笑顔が脳裏に焼き付いている。「また笑顔になってもらえたらいいな」。遠くトロントで生活していても、故郷はいつも心の支えだった。

 ケガする直前に「劇的に勝ちたい」と言っていた。大ケガを乗り越えての復活の2連覇に、羽生は「漫画の主人公でも出来過ぎなくらいの設定」とはにかんだ。表彰式を終え、こう話した。

 「自分の人生史上、一番、本当に一番幸せな瞬間を過ごさせていただいています」

 五輪史に名を刻んだ「羽生結弦」はどんな劇画よりも熱くて、格好良くて、面白い。

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