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【素顔の代表 柿谷曜一朗】サッカーでなく学習塾の予定が…

[ 2014年4月16日 09:30 ]

C大阪スクール時代の柿谷(前列右から3人目)。後列左の高橋正則コーチは柿谷を「世界で通用する選手になる」と確信していた
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 FW柿谷曜一朗(24=C大阪)を4歳から小学4年生まで7年間にわたって成長を見守ったC大阪スクールコーチの高橋正則氏(42)が、そのエピソードを語った。

 小学2年生になると、スクール全3校から12人程度が集まる「選手育成コース」(3、4年生)に学年を飛び越えて入った。スクール史上初の特例だった。前代未聞の特別扱いに他の保護者からの反発も危惧されたが、踏み切らなければいけない理由があった。

 学業に熱心だった柿谷の両親は、習い事をサッカーではなく学習塾へ切り替える方針に傾いていた。「曜一朗のポテンシャルをお父さん、お母さんに示すためにはどうすればいいか」。指導者たちが思案を重ね、両親を説き伏せる材料として用意したのが“飛び級”だった。必死の説得も実り、ボールを追いかける日々は続くことになった。

 両親と姉の4人家族。「お兄ちゃんがほしかった」という柿谷にとって、サッカーがうまい高橋氏は憧れの存在だった。週3回の練習に週末の試合。空き時間を見つけてはコーチを追いかけ、ボールの取り合いを挑んでいった。

 「あの子に対してだけはパワーを使わないといけなかった。負けず嫌いで何回も向かってきてね。あの子とは戦ってましたね」。大阪の強豪・北陽高(現関大北陽高)の攻撃的MFとして鳴らしたコーチは足もとの技術が高い。その技を間近で体感できる1対1によって、少年のテクニックは磨かれていった。
 
 その頃、時間を割いたのがボールコントロールの練習だった。高く上げたボールを、ショートバウンドで収めて次のプレーへと移る「ウエッジコントロール」。敵に囲まれていることを想定し、ボールが地面に着く寸前に足を出し、勢いを殺して足もとに収める「クッションコントロール」。2年生からこうしたメニューに取り組んだことで、3年生の終わりから4年生にかけて技術が急速に進歩した。それが今や代名詞と言える「神トラップ」の礎となった。

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