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断腸の「俊輔外し」脳裏には12年前のトラウマが…

[ 2010年7月1日 14:18 ]

ジンバブエとの練習試合で、岡田武史監督(左)がベンチから見つめる中、ドリブルで攻め込むF本田圭佑

 日本代表は2大会ぶりの16強進出という結果を残しW杯の舞台を去った。2月の東アジア選手権で惨敗、直前の強化試合で4連敗とどん底を経験した岡田ジャパンが“V字回復”した裏側で何が起きていたのか。中村を外し本田を軸に据えた“エース交代”の真相は――。

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 分岐点はW杯開幕前日だった。カメルーン戦4日前の6月10日に行ったジンバブエ代表との練習試合。本番前最後の実戦で、岡田監督は本田の1トップをテストした。

 本田は前線で起点になった。出場した30分間、運動量も落ちなかった。シュートは1本も打てなかったが、岡田監督は好感触を得た。ベンチに戻った本田に声を掛けた。

 「もうちょっとしっかりキープしてもいいんじゃないか。前に向けるなら向いた方がいい」。シュートの積極性には不満があるが、その他には及第点を与えられる。本田1トップの4―3―2―1。強化試合で4連敗したチームを立て直すにはこの布陣しかない。岡田監督は腹をくくった。

 ただ、問題があった。本田1トップの場合、両サイドには本田の守備力を補う選手が必要だ。候補は松井と大久保。パラグアイ戦翌日の会見で岡田監督は「本田は前線から(相手を)追い回すことができない。全体を考えてこう(いう布陣に)なった」と説明している。本来の右MF中村は相手を追い回すタイプではない。本田を1トップで使えば、中村を先発から外さざるを得ない。

 4月17日、岡田監督はモスクワでCSKAモスクワ―ロコモティフ・モスクワ戦を観戦した。1月にVVVフェンロ(オランダ)からCSKAモスクワに移籍した本田は進歩を遂げた。オランダでは2部で16得点を挙げ得点力を実証したが、ロシアでは強さが際立っていた。ロコモティフ戦も得点に絡めなかったが、強さとキープ力を発揮した。「日本代表でも欠かせない存在になった」。指揮官は本田をエースに据えることを決めた。

 当初は本田と中村を共存させる方針だった。脳裏には12年前のトラウマがあった。98年フランス大会直前にエース三浦知をメンバーから外し、選手に動揺を与えた。中村を外せば影響が大きい。チーム内のバランスを保つ上でも本田との併用が得策と考えていた。

 ところが、中村の調子が上がってこない。3月にエスパニョールから横浜に移籍したが、左足負傷の影響で切れを失っていた。4月3日の清水戦を視察した岡田監督は「俊輔の状態が良くない」と漏らした。4月7日のセルビア戦、5月24日の韓国戦も精彩を欠いた。スイスに入ってからも状況は変わらなかった。

 そしてジンバブエ戦後、選択肢は絞られた。本田を生かすには松井と大久保を両サイドに配置する方がいい。予選突破の立役者を外して未知の可能性にかける。土壇場でのエース交代の決断が快進撃につながっていく。(特別取材班)

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2010年7月1日のニュース