高畑勲監督が死去 盟友・宮崎駿監督ショック コメント出さず「まだその気持ちにはなれない」

[ 2018年4月7日 05:30 ]

高畑勲さん
Photo By スポニチ

 「火垂るの墓」など数々の名作を手掛けたアニメーション映画監督の高畑勲(たかはた・いさお)さんが5日午前1時19分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。82歳。三重県出身。葬儀・告別式は近親者で営み、5月15日にお別れの会を開く。二人三脚でヒット作を生み出してきた盟友の宮崎駿監督(77)は、大きなショックを受けている。大林宣彦監督(80)ら国内外から追悼の声が相次いだ。

 高畑監督の病状について、映画関係者は「昨年から体調が悪いと聞いていた」と説明。今年2月11日に少年時代を過ごした岡山県で講演を行い、関係者によると、監督自身が「体調が良くない」と話し、講演中にせき込む場面もあったという。

 高畑監督が籍を置いたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「やりたいことがいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います」と追悼のコメントを発表。「宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会を執り行い、見送ることにしました」と報告した。会の詳細は未定。

 東映動画時代から約50年、共に日本アニメ界をけん引してきた宮崎監督はこの日、コメントは出さなかった。周囲に「まだその気持ちにはなれない」と話しており、盟友を失った大きな喪失感をうかがわせた。

 高畑監督は1959年に東映動画に入社。68年に「太陽の王子 ホルスの大冒険」で劇場用長編アニメを初監督した。70年代に「アルプスの少女ハイジ」などのテレビシリーズをみずみずしい感性で演出し、日本アニメの礎を築いた。

 85年に宮崎監督とスタジオジブリを設立し、両輪で名作を生み出した。宮崎監督が空を駆けるファンタジーを目指したのに対し、高畑監督は地に足がついた演出に秀でた。野坂昭如さんの小説を自身の監督・脚本で映画化した88年「火垂るの墓」は、戦争の悲惨さを語りながら、耐え難い人間関係から逃れた子供たちのたどる結末を描き、人とのつながりが希薄になった現代社会に生きる人々に問いかけた。

 製作に時間をかけることで知られ、最後の監督作は13年公開の「かぐや姫の物語」で前作から実に14年ぶり。スタジオジブリによると、製作中の作品はないという。一貫してアニメーション表現の限界に挑み、15年にはフランス芸術文化勲章オフィシエを受章するなど、国内外で高く評価された。

続きを表示

2018年4月7日のニュース