オリに突如現れた新星・茶野って何者? アマ時代に影響を受けた2人の指導者が語るターニングポイント

[ 2023年4月18日 05:00 ]

オリックスの新星・茶野
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 オリックス・茶野篤政外野手(23)が育成ドラフト新人では史上初の開幕戦出場を先発で飾り、一時リーグ打率トップに浮上するなど1番に定着した。リーグ3連覇を狙う王者に突如として現れた新星はいったい何者か?全国的には無名だったアマチュア時代に影響を受けた2人の指導者に話を聞き、野球人生のターニングポイントを探った。(取材・構成=中澤 智晴)

 中京学院大中京(現中京)時代の恩師・橋本哲也元監督(58)は驚きを持って茶野の現在の活躍を受け止めている。

 「正直びっくりしています。ドラフト指名を受けた時に元(オリックス)、藤田(阪神)と一緒にあいさつに来てくれましたが、まさか茶野が最初にスタメンを獲っちゃうとは。これから壁にぶち当たると思いますが、何とか乗り越えて、軸となるような選手になってほしいと思います」

 高校時代は足が速く打撃も良いものを持ちながらメンタル面が課題だった。2年秋の新チーム発足時には4番も務めたが、競争に敗れ、最後の夏は控えの二塁手だった。

 「顔はいかついですが本当に真面目で優しい子。頭もいいので考えすぎていたのかな。どちらかといえば攻撃的な子ではなかった。性格の部分で一つ殻を破れたらいい選手になると思っていました」

 きっかけは高校最後の打席にあった。17年の岐阜大会の大垣日大との決勝戦。3点劣勢の9回裏に代打で安打を放った。「試合は負けたんですけど、最後の打席で右中間へヒットを打ってくれた。うれしかったですね。いまだに覚えています」。最後の打席で見せた意地の一打が大学、独立リーグでの飛躍へつながっていった。

 名古屋商大で影響を受けたのは当時コーチで、現在は同大学の指揮を執る赤松幸輔監督(30)だ。独立リーグ・香川から15年育成ドラフトでオリックスに入団し、捕手として2年間プレーした経験を持つ同監督は2つの転機をもたらした。

 一つ目は二塁から外野へのコンバート。1年秋から二塁の定位置をつかんだが、「足は速くて、打撃も馬力はあったが、守備は見られたもんじゃなかった。ショートスローができなかった」という。3年時に進路の話になり、「上でやってみたい」と打ち明けてきた茶野に「二塁は無理だ。上にいきたいのなら外野にいきなさい」と打撃と足を生かしやすい外野への転向を勧めた。

 二つ目は進路の選択。一時は公務員試験を目指したこともあったが、野球を続ける覚悟を固めた。模索した社会人入りが決まらず難航。追い込まれていた4年生の5月、赤松コーチが香川時代から知り合いだった独立リーグ・徳島の荒井健司オーナーに連絡を取った。

 「荒井オーナーが見てくれたこと、前年に1人選手が行っていて、行きやすい環境もあった。徳島はトレーニングに力を入れていたし、茶野自身もトレーニングに対して貪欲だったので、いい環境だなと思った」

 練習参加を経て特別合格。野球を続ける道が開けた。徳島入団後はすぐ主力選手となり首位打者、外野のベストナインを獲得するなど一気に才能が開花した。

 <茶野のプロ入り後>オリックス入団後は順調に階段を上った。1、2軍が同じ施設内で練習する宮崎キャンプではBグループからスタートし、2月8日にはAグループの実戦的な打撃練習に呼ばれ、侍ジャパン合流を控えた宇田川から右翼へ本塁打を放った。
中嶋監督の積極的に若手を使う方針もあり、オープン戦も10試合に出場。打率.273の結果を残し、3月24日に支配下登録が発表された。背番号「033」から「61」に変わって迎えた同31日の西武との開幕戦に「8番・右翼」で出場。3回先頭のプロ初打席で高橋から三塁内野安打を放ち、1死から二塁へ初盗塁も決めた。

 小谷野打撃コーチが「自分で勝負を仕掛けにいっている」と絶賛する積極的な打撃で安打を量産。9日の日本ハム戦では初の3安打猛打賞で打率.414とし、リーグトップに立った。6日のソフトバンク戦から8試合連続で1番出場中で、17日現在の打率.298はリーグ5位タイにつける。

 ◇茶野 篤政(ちゃの・とくまさ)1999年(平11)8月4日生まれ、滋賀県出身の23歳。中京学院大中京では甲子園出場なし。名古屋商大、独立リーグの四国・徳島を経て22年育成ドラフト4位でオリックス入り。今季開幕前の3月24日に支配下選手に昇格し開幕1軍入り。1メートル75、80キロ。右投げ左打ち。

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