監督生活56年目 “知将”大垣日大・阪口監督が大切にする「生きた言葉」

[ 2022年2月18日 07:30 ]

大垣日大の阪口慶三監督
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 「思いもよらなかった」ことが、監督生活56年目の知将に初めての経験をさせた。大垣日大の阪口慶三監督は東邦(愛知)時代も含め過去8度、センバツへの出場が決まるたびに必ず、真っ先に選手たちへ一番に報告してきたが、今回はそれができなかったという。「涙がこぼれそうになることはあったけど、実際に涙で言葉にならないことはなかった。センバツなんて、東海大会の準決勝で負けてから考えもしなかったですから」。どれだけの大ベテランでも、甲子園は行っても行ってもまた行きたい場所。感極まってしまった。

 10年ぶりのセンバツ出場となった指揮官の指導哲学の転換点となったのが、昭和最後のセンバツとなった88年。東邦の指揮官として、決勝で宇和島東(愛媛)に0―6と完敗し「あのとき、私にもう少し器量があったら優勝できていた。どこで負けたのか、最後の決勝戦を何度もテレビで見て、これは勝てんわというのがあった」。当時はものすごい形相で選手へ指示を出す様子から“鬼の阪口”とも形容されたが、そこから徐々に“仏の阪口”へと自己改革。平成最初の89年センバツでリベンジVを果たし、信じた道を歩んできた。

 「“俺についてこい”という、これが私の若いときの野球。今は“褒めて育てる”。“甲子園に連れて行ってくれるかい?”という姿勢で子どもに接している。絶対叱らんかといったら、いかんものはいかんけれども、叱っておる中に、褒められとんじゃないかという言葉遣いがあるじゃない。そういう、僕を温かく見守ってくれているんだというね。それを88年のセンバツ以降、使うようになったんじゃないかな。これが本当の、高校野球の指導者じゃないかなと思う」

 何より大事にするのは「生きた言葉」。そこに親しみやすさも加わって、目線は選手と同じ位置だ。「77歳だよ、もう。5月で78歳になる。そんなおじいちゃんが、若いときの姿でおること自体が良くない。時には叱るんですよ。指導者には威厳がないとダメですからね。その威厳は、若いときは“押さえつける”。上からの言葉で怒ったけど。今は全然そんなのではなくて“君らのおじいちゃんだよ”と。おじいちゃんと呼ばれても全然いい。例えばミーティングでは、子どもたちに“また同じ話か”と思わせるのは御法度。“生きた言葉”というのはそういうところ。部屋から出て行ったときに、子どもたちの笑い声が聞こえてくる、そういったミーティングがやりたいんですよ」。言葉で心を通わせ、キャッチボールすることこそ、行き着いた理想像だ。

 今年の戦力にも手応えを感じている。エース左腕の五島幹士らベンチ入り予定の投手5人は、全員異なる腕の位置から投球する。本格派からアンダースローまで多士済々だ。「今年のチームはバントせえと言ったらできるからね」と、打線のつながりにも自信を見せる。

 東海大会準優勝の聖隷クリストファーではなく、大垣日大が選出されたことが議論を呼んだが、選ばれた大垣日大には何の落ち度もない。全力で野球をするだけだ。頂点を知る指揮官が令和初となる聖地での采配でどんな生きた“言葉の魔法”をかけるのだろうか。(記者コラム・北野 将市)

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2022年2月18日のニュース