【阪神新人連載】栄枝が過ごした文武両道の少年時代 野球、陸上、受験すべて全力

[ 2020年12月19日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 4位・栄枝裕貴捕手(上)

小学校入学と同時に地元の朝倉スワローズに入団した栄枝裕貴。写真は小学6年の頃(家族提供)
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 栄枝家の長男として生を受けた裕貴は幼い頃から活発な少年だった。スポーツも、勉強も、何をやっても一生懸命取り組み、文武両道を地で行った。

 「小さい頃から体を動かすことは好きでしたし、勉強もそれなりにやりました」

 4、5歳の頃から近所の公園で友達とプラスチックバットを使って野球で遊び、夢中になった。小学校入学と同時に両親に「野球がしたい」と訴え、地元の朝倉スワローズに入団した。

 小学3年頃からは地元の陸上クラブにも足を運んだ。地域の運動会で見せた足の速さを買われ、同クラブ指導者の光岡政信さん(57)に勧誘されたことがきっかけだった。週2回は野球の練習に励み、時間を見つけては定期的に陸上の練習にも参加。5、6年時には100メートル走で県大会優勝に輝くなど運動神経は優れていた。

 学業も優秀だった。母・真実さん(42)によれば「通知表は◎○△の評価で1年から6年までほとんどが◎評価」だったという。両親の手をわずらわせることはほとんどなかった。5年生からは中学進学にも目を向け、「文武両道でやっていきたい」と高知県内で一番の進学校を目指し、受験勉強にも励んだ。

 くしくも陸上クラブの光岡さんの仕事が塾講師だったことから同じ学習塾に週3日ほど通い始めた。野球などスポーツに打ち込むときと同じように集中して問題に向き合い、いつも「時間が足りない」と訴えて周りを驚かせた。毎回講習は3時間ほど。野球、陸上、受験の“三足のわらじ”を履いても不満を漏らすどころか、すべてに熱意を持って打ち込んだ。

 受験の結果、第1志望の中学校には不合格。「高いレベルの学校だったので…。切り替えはすぐできました」。野球と勉強の両方ができる環境を望み、2次募集していた私学の高知中に進学。陸上は辞め、“武”は野球一本に絞った。軟式野球部に所属し、3年春には全国優勝も飾った。順風満帆に見えた日々。高知高へ進学後、将来に迷いが生じ始めた。(長谷川 凡記)

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2020年12月19日のニュース