法大三羽ガラス 山本浩二氏も田淵氏祝福「天国の仙も喜んでいる」

[ 2020年1月15日 05:30 ]

田淵幸一氏 野球殿堂入りエキスパート表彰

東京六大学70周年記念試合 六大学選抜・プロOB選抜戦で談笑する(左から)山本浩二氏、山中正竹氏、田淵幸一氏
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 田淵氏の法大時代の同期で「三羽ガラス」として活躍し、北京五輪でともに星野監督をサポートした山本浩二氏(73)も、殿堂入りを喜んだ。

 山本氏が田淵氏と出会ったのは1964年、東京五輪が終わった直後の12月、兵庫県洲本市で行われた法大のセレクションだった。そこからチームメートとなって56年。東京五輪イヤーに田淵氏は殿堂入り。「ブチ、野球殿堂入りおめでとう。もっと早く入っても良かったと率直に思う。間違いなく天国の仙(星野仙一氏)も喜んでいるだろう。長い付き合いになった」と自分のことのように喜び、祝福した。

 法大で富田勝氏とともに「法大三羽ガラス」として、しのぎを削ったが、入学当初は違った。「春のリーグ戦が始まると神宮球場で切符切りしていた私たちを尻目にブチは1年春からベンチ入り。そんな姿はうらやましかったし、ブチへのライバル心は私の支えになった」と振り返る。投手として、65年6月4日に行われた新人戦の慶大戦(東大球場)で投手を務めた山本氏は人生で1試合だけ、田淵氏とバッテリーを組んだ。「なぜか真っすぐしか要求してこない。“何でや?”と文句を言うと“オヤジさん(松永怜一監督)から真っすぐしか投げさせるなと言われてるんだ”という。打たれて投手を諦めさせたかったらしい」。2年から山本氏は野手に転向。プロでは「ミスター赤ヘル」として通算536本塁打を放った。

 「2008年の北京五輪で星野仙一監督の下、ブチと私でコーチを務めたことは一生の宝物」と話す。悲願の金メダルには届かず4位に終わったが、東京六大学時代からの盟友と同じユニホームで日の丸をつけた戦いの記憶は鮮明に残る。

 「昨年、私が体調不良の間も気に掛けて何度も電話をしてくれた。ブチの姿を見ながら、野球界に少しでも恩返しできればと思っている」

 2人の絆は昭和、平成、そして令和の時代に入っても色あせることはない。 (倉橋 憲史)

 ◆山本 浩二(やまもと・こうじ)1946年(昭21)10月25日生まれ、広島県出身の73歳。廿日市―法大を経て、68年ドラフト1位で広島入団。MVPを2度、本塁打王を4度獲得するなど、強打の外野手として活躍。通算536本塁打は歴代4位。広島の監督を計10年務め、91年にリーグ優勝。08年北京五輪で日本代表守備走塁コーチを務め、同年、野球殿堂入り。13年の第3回WBCでは侍ジャパンの監督を務めた。現日本プロ野球名球会理事長。

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