田淵幸一氏が殿堂入り!「最高の栄誉。仙ちゃんが生きていたらなあ」天国の大親友に吉報届けた

[ 2020年1月15日 05:30 ]

故・星野仙一さんのレリーフを見つめる田淵幸一氏 (撮影・西川祐介)
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 野球殿堂博物館は14日、今年の殿堂入りを発表。競技者表彰のエキスパート表彰として阪神、西武で通算474本塁打を放ち、ダイエー(現ソフトバンク)で監督を務めた田淵幸一氏(73=スポニチ本紙評論家)が選ばれた。田淵氏は、コーチとして支えた法大時代からの盟友・故星野仙一氏ら周囲への感謝の思いを語った。

 私の長き野球人生でこれが最後だろう。最高の栄誉を頂くことができた。感動し、感激している。仙ちゃんが生きていたらなあ。この吉報を聞き、心の底からそう思った。

 あれは17年12月、仙ちゃんの殿堂入りパーティーのときだ。「ブチ、お前がもらったら浩二(山本氏)と3人でパーティーをやろう」。そう話していたのがつい昨日のように思い出される。それから1カ月余りで逝ってしまった。今でも「おい、キャッチボールしよう」と言って夢に出てくる天国の大親友へ、報告させてもらった。

 思えば小学3年の草野球から始まった野球人生。法政一(現法政)に入学し、当時の監督だった松永怜一さんに出会った。入学当初は部員120人。声を出すだけの日々だった。ボールに触りたくて打撃練習の捕手を志願。捕手の経験などなかったが、松永さんにキャッチングを認められ、打撃練習に加わった。それが捕手としてのスタート。厳しい指導で徹底的に基礎を叩き込まれ、法大進学と同時に松永さんも大学の監督に。同期に浩二、富田、1年下に山中。ライバル明大のエースが仙ちゃんだった。

 指導者と仲間、そして好敵手に恵まれ、当時の六大学記録の通算22本塁打も打つことができた。阪神入りして出会ったのが江夏。年下なのに「淵っちゃん、ミットが動いたらボールになるよ」と指摘され、必死に手首と二の腕を鍛えた。プロ通算474本塁打はそのおかげだ。長嶋さん、王さんという大きな山を乗り越えようと、球宴のときにはお二人に打撃の極意を聞いた。入団時の阪神の後藤次男監督、トレードされた西武の根本陸夫監督は法大の先輩。広岡達朗監督の下で日本一も経験させてもらった。

 松永さんには「目標だった殿堂入りさせていただきました」と電話で報告した。指導者、仲間、家族の支えがあってこその殿堂入り。そして応援してくれたファンのことは一生忘れない。改めて感謝を伝えたい。本当にありがとうございました。 (スポニチ本紙評論家)

 ◆田淵 幸一(たぶち・こういち)1946年(昭21)9月24日生まれ、東京都出身の73歳。法政一から法大に進み、山本浩二、富田勝との「法大三羽ガラス」として活躍。東京六大学リーグ新記録(当時)の22本塁打を放った。68年ドラフト1位で阪神入団。69年に新人王に輝いた。79年から西武でプレーし84年限りで現役引退。通算成績は1739試合で打率.260、474本塁打(歴代11位)、1135打点、18盗塁。75年に本塁打王、72~76年にベストナイン。90~92年にダイエー監督。阪神、楽天、北京五輪野球代表のコーチを歴任した。

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