内田雅也が行く 猛虎の地(17)料亭「いさ美」 モンローの金の産毛が揺れた幸福な夜

[ 2019年12月25日 08:00 ]

神戸・花隈の料亭「いさ美」で会食するマリリン・モンロー(右端)。左端が福島史女さん、2人目が阪神・野田誠三オーナー(1954年2月20日)=福島順子さん提供=
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 【(17)料亭「いさ美」(神戸・花隈)】

 箸を手にしたマリリン・モンローが笑顔を浮かべている。中央(左から2人目)には阪神オーナー(電鉄本社社長)・野田誠三がいる。

 1954(昭和29)年2月20日、土曜の夕方、神戸・花隈の料亭「いさ美」での一コマ。左端に写る芸妓(げいこ)、福島史女(しめ)=2011年、93歳で他界=のめい、福島順子が所有する貴重な写真だ。

 同年1月14日に結婚した元ヤンキースのスター選手、ジョー・ディマジオとの新婚旅行で2月1日に来日していた。過去2度訪日経験のあるディマジオは「日本の美しい風景を妻に」との思いがあった。また、セ・リーグ招待の「共同コーチ」で3Aサンフランシスコ・シールズ監督、フランク・オドールらと各地を巡回。この日、明石での巨人でセ6球団の指導を終え、セ・リーグ主催で夫妻を招いての感謝の夕食会となった。すき焼きや天ぷらを楽しんだ。

 順子によると、史女は生前「モンローさんはかわいい方でした」と話していた。「初々しくて笑顔がとてもかわいい。腕の金色の産毛がゆらゆら揺れていました」。寒い日だったが、モンローはノースリーブで腕を出しショールを巻いていた。金髪が印象的だが、産毛も記憶に残っていた。

 史女は尾上松緑の内弟子から「歌志め」の名でお座敷に出た。花隈新興会が71年に発行した町誌『花隈』に「いさ美」は<花柳界の稽古場>とある。史女が日本舞踊を指導していた。

 その夜は『春雨』を舞った。「わたしゃ鶯(ウグイス) 主は梅(中略)鶯宿梅(おうしゅくばい)じゃないかいな」と歌詞にある。梅に寄り添うウグイスのような夫婦を表す。新婚の2人に贈る踊りだったのだろう。

 会合はセ・リーグ主催で連盟会長・鈴木龍二、前会長で読売新聞副社長・安田庄司ら6球団首脳がいたが、店の者は「野田さんが招待」と思っていたようだ。野田行きつけの店だったのだろう。

 阪神への指導は15、16日の2日間だった。15日は雪が舞う悪天候のため甲子園阪神パーク演芸場で映画上映と質疑応答となった。徳網茂が「私は小柄(1メートル70)で腕力がないのでプッシュ・バッティングをとった方がよくないか」と問うとヤンキースのフィル・リズートを例に「彼も小柄(1メートル67)だが基本に忠実に従っている」とバットを手に実演してみせた。佐山和夫『ディマジオとモンロー 運命を決めた日本での二十四日間』(河出書房新社)にある。

 監督・松木謙治郎が外角低めの打法を問うと「私自身打てないので教えられない」と謙虚に話した。「1、2球ファウルすれば投手は根負けして投げて来ない」という応答に松木は「私自身、指導に思いあがりがあったと反省させられた」。

 16日は球場で1軍、ジャガーズと呼ばれた2軍選手も集まり紅白戦を行った。渡辺博之が左翼へ本塁打を放った。ディマジオは藤村富美男、金田正泰の打撃を「特に優れている」と評している。

 ただ、夫婦の間には日本に滞在中、亀裂が生じていた。2日の帝国ホテルでの会見ではモンローばかりに質問が向けられ、嫌気がさしたディマジオは退室していった。

 当時ディマジオ39歳、モンロー27歳。現役引退から3年たった元スター選手と20世紀最高のセックスシンボルと呼ばれた女優。日本での注目度も段違いだった。「いさ美」でも「ディマジオさんより、人気は断然モンローさんでした」と史女が話していたそうだ。

 「野球場には来るな」と言われていたモンローが14日、広島を指導中の広島県営球場に現れた。ディマジオは相当に怒った。15日早朝、モンローが宿泊先の宮島「一茶苑」の庭で忍び泣く姿が目撃されている。

 離日は24日。帰米後、ビバリーヒルズの新居では1、2階に別れて暮らす「家庭内別居」。ニューヨークで映画『七年目の浮気』の撮影に立ち会ったディマジオは、地下鉄通風口からの風に巻き上がるスカートを手で押さえる、あの有名なシーンに怒りを覚えた。10月、モンローは精神的虐待を理由に離婚訴訟を起こした。9カ月の結婚生活に終止符が打たれた。

 ただ、ディマジオは離婚後も愛し続けた。モンローが永眠した後も週3回、墓に赤いバラ「アメリカン・ビューティー」を送り続けた。ならば、日本での24日間は大切な日々であり、「いさ美」の夕べは梅とウグイスの幸福な時間だったと言えるだろう。=敬称略=(編集委員)

 ≪本願寺神戸別院で16年貴重写真展示≫料亭「いさ美」での貴重な写真は2016年11月、本願寺神戸別院(通称・モダン寺)で開いた花隈モダンタウンフェスティバルで展示された。「花隈の歴史や文化を後世に伝え、新たな魅力と活気を創造する」と活動を続ける花隈モダンタウン協議会が主催した。

 1568年、戦国武将・荒木村重が花隈城を築いた。戦前戦後と最盛期には100軒以上の料亭や茶屋が並び、神戸一の花街と呼ばれた。協議会前会長の桜商会社長・石原守さん(59)は「近年は若い人たちも集まり、新しい店も増えた。歴史を伝える一方、新たな魅力を知ってもらいたい」と話していた。

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