日本ハムに入らなければ実現しなかった「二刀流・大谷」 今日、日本ラスト試合

[ 2017年10月9日 09:44 ]

フェンス際をランニングする大谷
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 もう少し、日本球界にいてほしい。一方で、メジャーで二刀流が通用する姿も見たい。プロ野球ファンの多くが、そんな心境ではないだろうか。ポスティングシステムを利用し、今オフのメジャー挑戦の意思を固めている日本ハムの大谷翔平が9日、今季最終戦となる楽天戦(Koboパーク宮城)で日本ラストの試合を迎える。

 日本ハムにドラフト指名されたことでメジャーへの思いを一時封印し、日本球界で二刀流に挑戦した。プロ入り当初、指導者や球界OB、選手らに二刀流は通用するかを聞いたら、多くは「NO」。「160キロを投げられるんだから投手としてやるべきだ」という意見が占めた。成功すると言い切ったのは少数派だった。野球記者としての立場からもプロ野球はそんな甘くないと思っていた。先入観にとらわれていたというよりも、大谷という存在が規格外だった。

 「プロで獲ってみたいタイトルは打者なら打点王。投手なら沢村賞という一番いい賞を目指したい」。入団当初、18歳の大谷が目を輝かせて掲げた目標だった。沢村賞も打点王も獲得できなかったが、日本一に導いた昨季は史上初めて投手と指名打者でベストナインダブル受賞。最速165キロを誇り、驚異的な飛距離のアーチを描く。同僚の日本ハムの主砲・中田が「化け物」と評し、花巻東の先輩で左腕最速の158キロを投げる西武・菊池でさえ「怪物」と言うのも、うなずける。投げても超一流。打っても超一流。そんな選手は今までいなかったわけだし、「大谷級」の選手がまた出てくるとは決して思えない。

 仮に指名したのが日本ハムではなかったら、大谷は高卒後、すぐに海を渡ったと思う。メジャー挑戦にかたくなだった18歳の心を揺さぶったのが「二刀流」の提案。大谷は入団表明時にこう言った。「自分の中では最初から投手と打者の両方という考えはなかった。どちらもやってみたいので、うれしかった」。高卒即メジャー挑戦のパイオニアになる夢を持っていたが、日本球界初の本格的な二刀流選手は、別の意味でパイオニアになれると感じたからだ。「誰もやったことがないことをやりたい」。これが大谷のポリシー。日本史で幕末が好きな18歳は日本球界に「維新」を起こし、5年の歳月を経てメジャーへの夢を実現させる。

 不思議な巡り合わせを感じる。「その年の一番いい選手を指名する」という日本ハムの徹底したドラフト方針で指名されることになり、さらに独創的な発想を持ち、信念を曲げない栗山監督の下でプレーしなければ二刀流は実現しなかったし、成功もしなかった。

 仮にすぐにメジャーに行ったのなら、間違いなく投手として育成されただろう。それが日本で二刀流の実績を残したことで、メジャーでも「認知」されてしまった。そして二刀流は今後、大谷が球団を選ぶ際の条件の一つになってくる。(野球コラム・飯塚 荒太)

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