【内田雅也の追球】神走塁生んだ「法則」「技」

[ 2024年4月17日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神1-1巨人 ( 2024年4月16日    甲子園 )

<神・巨>7回、糸原の犠飛で生還する植田(捕手・岸田)(撮影・北條 貴史)
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 引き分けに持ち込んだ阪神で大の付く殊勲者は植田海である。代走で出て、神業のように三塁で生き、本塁に還った。ヒーロー原稿はトラ番が書く。当欄は「神走塁」の背景を描いてみたい。

 0―1の7回裏、無死一塁で代走で出た。ベンチに数人いる俊足走者のなかでも監督・岡田彰布が「最も信頼を置ける」と認める切り札だった。

 バントで1死二塁。だが木浪聖也の強い投ゴロで植田は二塁を飛びだして、二―三塁間で挟撃となった。できるだけ粘って、打者走者を二塁まで進めることに努めるのが常道だ。植田は粘った。

 投手に追われて時間を稼いだ。三塁手に送球した。木浪が二塁に達しようとしていた。この時、三塁手が先に二塁上で木浪を刺そうと距離のある二塁手に投げた(セーフ)。この間に三塁を突き、二塁手からの返球を受けた三塁手のタッチを体をよじって避け、三塁で生きたのだ。オールセーフである。

 巨人は挟撃で後ろの走者を先に刺し、後で挟んだ走者を刺す「重殺」を狙ったわけだ。その間隙(かんげき)を突いた。

 阪神では昨年、監督に復帰した岡田がキャンプでこの重殺練習を禁止にしていた。当欄でも何度か書いてきた。「1つを確実にアウトにしろ。2つ狙えば、本番ではミスが出る」。確実性を重んじる「岡田の法則」が生きていたわけだ。植田はミスを突いたのだった。

 1死二、三塁となって代打・糸原健斗の当たりはライナー性の浅い右飛だった。植田は「当たりゴー」のギャンブルスタートでかなり離塁していたが帰塁し、敢然と本塁に突っ込んだ。打球が右中間寄りで右翼手の体勢が悪いと判断していた。

 右翼手捕球から本塁まで手もとのストップウオッチで3秒83。俊足はむろんだが、最後ヘッドスライディングの際、当初出していた左腕を引っ込めてタッチを避け、右手で本塁をかすめていた。

 三塁ボックスの内野守備走塁コーチ・藤本敦士が「練習しているプレーではない。天性の勘でしょう」と舌を巻いた。

 かつて高橋慶彦が阪神に移籍した1991年のキャンプで、一塁けん制で逆を突かれた際、右手ではなく左手で帰る方法を伝えていた。タッチを空振りさせる技である。

 得点力は依然低く8試合連続2点以下。それでも負けなかった。引き分けコールドを呼んだ雷鳴と豪雨は心地よかったことだろう。 =敬称略= (編集委員)

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