モーグル銅・堀島の原点は“書き物くせ”カブト・クワガタに始まり…自分を客観視するスキル磨く

[ 2022年2月6日 05:30 ]

北京冬季五輪第2日・フリースタイルモーグル ( 2022年2月5日    雲頂スキー公園 )

2歳ごろの堀島(中央)と(左から)父・行訓さん、姉・有紗さん、母・則子さん(堀島則子さん提供)
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 堀島がスキーを始めたきっかけは、「好きになってくれないと、私たちが困る」という両親の“エゴ”だった?奈良県で教員生活をしていた父・行訓(ゆきのり)さんと母・則子さん。週末は車を3時間以上走らせてゲレンデに向かうほどの愛好家だった2人にとって、子供をスキー好きにさせることは必須だった。「スキー場に近い」という理由で移り住んだ岐阜県池田町で、姉・有紗さんと堀島が誕生。生後10カ月で歩き始めると、「歩いてから何年かでスキーを始めると、変な理屈が入る」(則子さん)と、すぐさまスキーを履かせて英才教育を施した。

 行訓さんが「行真の原点かもしれない」と語るのが、小学校時代からの“書き物くせ”だ。小1、2年時は近所の山林で捕った昆虫を観察した「カブト・クワガタ日記」、小4~6年の3年間はウオータージャンプ場「K―air」での練習内容をつづった「ウォータージャンプ日記」を夏休みの宿題として提出。後にモーグルノートを書く習慣につながり、好不調時の技術や心境の違いを客観視できるスキルにつながった。

 筆まめな愛息は、昨年9月、忙しい日々の合間を縫って帰省。この時は2度目の五輪シーズンを前にW杯での戦略を語ってくれたという。4年前は予定していなかった難度の高いエアを組み込んで失敗し、11位。手堅くいくべきとの行訓さんの助言を聞き流していたが、この時は両親の思いもしっかり受け止めてくれたという。「スラスラっと手紙も書いてくれた」と則子さん。そこには五輪への思いや両親への感謝がつづられていた。

 結婚後、しばらくは子宝に恵まれなかった行訓さんと則子さん。諦めかけていたところ、池田町の地で授かったのが有紗さんと堀島だった。だからこそ「泣きわめいてもかわいかった。(子育てが)苦労なんてこれっぽっちも思わなかった」と行訓さん。大きな愛にはぐくまれ、北京の地で大きな結晶となった。

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2022年2月6日のニュース