スポーツに国籍なんて重要でしょうか?

[ 2019年2月25日 10:38 ]

 【君島圭介のスポーツと人間】つい最近までグローバリズムと騒いでいた。ところがボーダーレスのインターネット全盛になって、今度は妙に排他的な空気がまん延している。不思議で仕方ない。

 国際マラソン大会の通訳をしていた日本人女性が、担当したアフリカ人選手に対し、品位も知性も欠いた表現をソーシャルネットワークサービス(SNS)に投稿。大問題となった。そもそも一流アスリートへ敬意も払えない人間が、スポーツ大会にかかわるべきではない。自慢の語学力を生かしたかったのだろうが、マラソンに興味がなければご自身で辞退すべきだった。

 この出来事をニュースで知った楽天・オコエはSNSに「俺らは我慢するだけ」と投稿した。ショックを受けた様子の女子バスケットボール・デンソーに所属する妹の桃仁花を励ますための投稿で、問題発言の通訳者を非難したものではない。ただ、オコエは父親がナイジェリア出身であるというアイデンティティーに誇りを持っており、ごく一部であろうとそういった偏見を持つ人間が存在することはショックだろう。

 さらにとばっちりなのか、イラン人を父に持つカブスのダルビッシュまでSNS上で人種差別的な発言を浴びた。グランドスラムを連覇した女子テニスの大坂なおみに対してもネット上で「日本で育ってないから日本人じゃない」と、得意げな指摘をする投稿者もいる。

 同じ日本人がスポーツの国際大会で目覚ましい結果を残せばうれしい。それは分かる。だから五輪やW杯が盛り上がるのだろう。だが、旧知の友人が例えばエジプト国籍になって、国際大会で自分とは面識のない日本人と金メダルを争ったら?

 2年前に高校バスケの外国人留学生が審判に暴力を振るった。それは大問題だが、制度ではなく個人の資質と学校の指導に責任がある。昨年末の高校バスケ、ウインターカップで岐阜女子が優勝した。20センチも背が高い外国人留学生と抱擁し、泣き顔で歓喜を分かち合う選手の姿は、ただただ美しかった。

 スポーツに国境はない。あるのはビジネスのための線引きだけだ。アスリートの立場になれば、むしろ国籍は足かせとなることの方が多い。政治や経済は別次元なので触れるつもりはない。ただ、スポーツだけはボーダーレスであるべきだ。国家や民族を超えた共感を与えることこそ、スポーツが担うべき使命なのだ。

 1980年代、英国とアルゼンチンの間で大西洋のフォークランド諸島の領有権を巡って紛争が起きた。オジーの愛称で親しまれ、のちにJリーグの清水などでも指揮を執ったアルゼンチン代表MFのオズワルド・アルディレスは、そのとき英国1部リーグ(現プレミア・リーグ)の名門トットナムでプレーしていた。母国とチームの間で揺れていたアルディレスを気遣ったトットナムサポーターは、こんな横断幕を掲げた。

 「オジーが残ってくれるなら、フォークランドはアルゼンチンにくれてやれ」

 スポーツにおける心から愛すべき逸話だ。(専門委員)

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