坂田利夫さん死去、82歳 誰からも愛された「アホの坂田」 耳から離れぬ「あ~りが~とさ~ん」

[ 2023年12月31日 05:30 ]

舞台を縦横無尽に動き回りボケまくる坂田利夫さん(2010年撮影)
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 「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑い芸人の坂田利夫(さかた・としお、本名・地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため大阪市内で死去した。82歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。お別れの会を開く予定はない。21年10月に亡くなった前田五郎さん(享年79)との漫才コンビ「コメディNo・1」で全国区の人気を誇り、「あ~りが~とさ~ん」「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」など数多くのギャグでも知られた。

 親しみやすい笑いで幅広い世代に愛された坂田さんが天国に旅立った。

 関係者によると、2022年7月30日に大阪市で開かれた「さざなみ寄席」でコントを披露したのが最後の仕事。以降は表舞台から遠ざかっていた。独身だった坂田さんは数年前から高齢者施設に入所。今年10月の82歳の誕生日前には、50年以上にわたって親交がある間寛平(74)夫妻に祝福され喜んでいたという。最期も夫妻に見守られながら息を引き取った。

 1961年に吉本新喜劇の研究生に応募し、花菱アチャコから「あの子はなんか持ってる子」と後押しを受けて吉本入り。大村崑(92)に憧れたのが芸人を目指すきっかけで、毎日放送のドラマ「番頭はんと丁稚どん」も欠かさず見ていたという。

 西川きよし(77)に「漫才はもうかるでえ」と勧められて喜劇役者から転向し、67年に前田さんと「コメディNo・1」を結成。70年に第5回上方漫才大賞(ラジオ大阪主催)の新人賞を受賞し、翌71年には第1回NHK上方漫才コンテストで最優秀話術賞、72年にも第1回上方お笑い大賞(読売テレビ)で金賞に輝くなど、文字通りNo・1の勢いを見せた。

 代名詞となった「アホの坂田」はセオリー破りの掛け合いがきっかけ。「お前、アホか!」とツッコむ前田さんに、坂田さんが「誰がアホやねん!」と普通に返さず「うん、アホや」と素直に答えると客席が大ウケ。アホのキャラクターに徹することで人々の「おもちゃ」となり「子供からお年寄りまでかわいがってくれるようになった」と本紙に生前語っていた。「賢く見えてしまうから」と眼鏡もかけないようにしていた。

 09年7月、相方の前田さんが吉本興業とのトラブルなどを巡って無期限活動休止となりコンビも解散。坂田さんはピン芸人として再始動した。

 エピソードには事欠かず、妹の結婚式で「ふつつかな妹ですが」と言うべきところを「ふしだらな妹ですが…」と言い間違えたことも。生涯独身を貫き、吉本興業内に「結婚させるプロジェクト」が発足したこともあったが、結局実らなかった。当人は「結婚できないのではなく、しないのだ。子供ができたら“アホの子”と指をさされるのが心配だから」と理由を口にしていた。

 晩年を高齢者施設で過ごしていた坂田さん。施設で面会を重ねるなど家族のように寄り添ってきた寛平夫妻は悲しみに暮れているという。


 ≪爆笑千秋楽ゲスト≫ 坂田さんは、2010年に大阪・なんばグランド花月で1週間にわたって上演した「スポニチ新喜劇」の千秋楽にゲストで参加し、爆笑をさらった。同作は吉本興業とスポニチのコラボによる新喜劇で花月支局が舞台だった。大盛況に終わり、坂田さんは「NGKでの新喜劇出演は44、45年ぶり。アホの菌はばらまけました。お客さんも喜んでくれたし、大成功です」と声を弾ませていた。

 坂田 利夫(さかた・としお、本名地神利夫=じがみ・としお)1941年(昭16)10月7日生まれ、大阪市出身。高校時代は成績トップクラス。お笑い芸人として息の長い活躍をし、映画「0・5ミリ」(14年)やドラマ「浦安鉄筋家族」(20年)など俳優としても存在感を示した。ストリップ観賞が趣味で「よしもとストリップ愛好会」会長を務めた。

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