【浅利慶太さんを悼む】「新劇は食えない」概念壊した…人生賭けた「キャッツ」ロングラン

[ 2018年7月19日 09:30 ]

ミュージカル「オペラ座の怪人」発表での浅利慶太さん。1987年10月撮影
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 浅利慶太氏との思い出となると、なんだか“ケンカ”ばかりしていたような気がする。50年の付き合いになるのだが、一度ケンカすると10年間は口をきいてもらえないどころか、顏を合わせても知らんぷりされた。これはいささかつらかったが、これも仕事のうちと諦めるしかなかった。

 なんとなく仲直りすると、何度か長野の信濃大町にある四季山荘に招かれて一緒にゴルフに興じたこともあった。それもつかの間、またケンカになる。ほとんどの原因は劇団四季の劇評を悪く書いたことによるものだった。当時は外部に対して秘密事項だったことを暴露して逆鱗(げきりん)に触れたこともあった。

 浅利氏の功績は多々あるけれども、新劇は食えないものという概念を壊したことにある。「何とか食える役者を育てたい」という浅利氏のおかげで、四季の役者たちは芝居だけで食えるようになったし、現役を離れても年金でゆったり暮らせるようになった。これは他の新劇団にはないものだ。

 忘れられないのは1983年のこと。11月11日、東京・西新宿の高層ビル群の中に仮設劇場を建ててミュージカル「キャッツ」の日本初のロングラン公演を始めた。このとき浅利氏は人生を賭けた。

 「おい、俺の生命保険はいくらかかっていた?」と身内に聞いて、文字通り背水の陣で望んだ。

 今でこそ「キャッツ」は世界でも大成功を収めたミュージカルとして有名だが、チケットの新しい販売方法など、内情を知りたくて、東宝や明治座の担当重役たちがひそかに敵情視察をしていたことを思い出す。

 以来「キャッツ」は35年間、劇団四季の屋台骨を支え続け、今夏は東京・大井町に新しいキャッツシアターをオープンさせてロングランを続けているのである。

 ご冥福を心からお祈りしたい。合掌。(スポニチOB、演劇評論家・木村 隆)

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