65周年前日に…浅利慶太氏死去 85歳

[ 2018年7月19日 05:30 ]

前田美波里(右)を演出する浅利慶太さん
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 劇団四季の創設メンバーでミュージカル「キャッツ」などを手掛けた日本を代表する演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため東京都港区の病院で死去した。85歳。東京都出身。四季の代表を退いた後も作り手として第一線に立ち続け、四季創立65周年の記念日前日に人生の幕を下ろした。四季出身の俳優鹿賀丈史(67)と市村正親(69)は訃報を受け、18日夜に会見した。

 浅利さんの最晩年の活動拠点だった「浅利演出事務所」によると、昨年9月に体調不良のため病院で検査を受け悪性リンパ腫と判明。演出を手掛けた「ミュージカル李香蘭」が今年4月に上演されると東京・浜松町の自由劇場に足を運び、次の公演に向け企画を練るなどしていたが、6月初旬に足にしびれが出て初期の脳梗塞と診断され入院。今月初めからは血圧が低下するなど不安定な状態が続き、13日朝にICU(集中治療室)で治療を受け、眠るように亡くなった。妻で女優の野村玲子(56)、親しい俳優やスタッフらが最期に立ち会った。

 葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻の野村玲子(のむら・りょうこ、本名浅利玲子=あさり・りょうこ)。浅利さんが最後に企画、準備した作品「アンドロマック」は予定通り9月7〜12日に上演し、公演後の同月中旬頃にお別れの会を行う予定。昨年秋に浅利さんと会った舞台関係者は「移動は車いすだったが元気な様子だった」と振り返った。

 大叔父は歌舞伎俳優の二代目市川左団次、父は築地小劇場設立に参加した浅利鶴雄で、慶大在学中の1953年7月14日、故日下武史さんらと10人で劇団四季を創立。劇団代表、演出家としてほぼ全ての作品のプロデュース、演出を手掛けた。米ブロードウェーに刺激を受け「キャッツ」「オペラ座の怪人」「ライオンキング」など海外作品の翻訳、上演に取り組むなど、日本にミュージカル文化を定着させた。

 経営者としての手腕にもたけ、劇団四季の運営会社「四季」の社長や会長を歴任し、各地に設けた専用劇場でロングラン公演を行う興行システムを確立。政財界にも幅広い人脈を持つ異色の演劇人として知られた。

 2014年に四季の代表を退いた後は、「浅利演出事務所」を拠点に演劇活動を行い、最後まで舞台演出に力を注いだ。

 ▼前田美波里(浅利さん演出の舞台に多数出演)舞台に立つための基礎を学ばせていただいた方でした。今舞台に立っていられるのも先生のおかげですと伝えたいです。劇団員の方々だけでなく、外部の人間にもチャンスを与えてくださった素晴らしい方でした。

 ▼久野綾希子(劇団四季で看板女優として活躍)突然の訃報に言葉がありません。私たち教え子世代は、舞台に取り組む姿勢、心得を一から叩きこまれました。今改めて、心に刻み、精進してまいります。

 ▼森英恵さん(舞台衣装で協力)特に印象的なのは、ミラノ・スカラ座のオペラ「マダム・バタフライ」の衣装を担当したことです。オペラに対する浅利さんの厳しいけれど、一筋な姿勢が思い出されます。私の仕事人生の中で特別なものです。

 ▼大和田伸也(劇団四季出身)最初の演技の先生です。その頃はよくスリッパが飛んできました。それだけ演技に対して熱く信念をもって教えてくれたのです。いまだに、ちゃんと演技しないとスリッパが飛んできそうな気がします。

 ▼堀内敬子(劇団四季出身の女優)たくさんのことを教えていただきました。たくさん、たくさん叱られました。とてもとても寂しいです。先生、ありがとうございました。

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