「笑点」メンバーが桂歌丸さん追悼 円楽「歌丸師匠を生かしておいて」歌丸さん病室で毎日発声練習していた

[ 2018年7月2日 20:15 ]

2016年5月の日本テレビ「笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル」の生放送で司会を務め、番組を卒業した桂歌丸(前列左2人目)と記念撮影する(前列左から)林家木久扇、1人おいて、後任の6代目司会者春風亭昇太、三遊亭好楽(後列同)林家たい平、三遊亭小遊三、三遊亭円楽、山田隆夫
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 日本テレビの演芸番組「笑点」(日曜後5・30)のレギュラーを長く務め、軽妙な語り口で親しまれた落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去した。81歳。横浜市出身。「笑点」のメンバーは一様に絶句しながらも、思い思いに追悼コメントを発表した。

 ▼三遊亭好楽 昭和41年に「笑点」が始まり、落語ブームの頂点に立った歌丸師匠が番組に頼らず自分をおごらず円楽、談志、志ん朝、円鏡(円蔵)4人の活躍を一切気にも止めず、我が道を行く姿は古武士の如く素晴らしい生き方をした方だと思います!新作から突然古典落語の独演会を何十年も勤めて、そして円朝物の話に挑戦し、一時代を築き上げたあの痩せた身体から、どうしてこのようなエネルギーが生まれるのか、ただただ驚き、そして尊敬の一言です!我々に温かく接して教えてくださった我らの誇り歌丸師匠に感謝、感謝、感謝です!ありがとうございました。合掌。

 ▼三遊亭円楽 旅先、仕事中のため申し訳ございません。とうとう洒落にならなくなりました。4月、5月そして6月20日にもお見舞いに行って話ができました。4月は目が合うだけ…前回は笑って色々と下世話な話をして、タタタタ〜パパパパ〜パンダの宝はパンダ!!としゃべる筋肉のリハビリの姿も再現してくれました。回復してると安心したばかりでしたので言葉になりません。歌丸師匠と過ごした楽屋、旅先、ご自宅、たくさん思い出が多すぎて、どこをしゃべっても一片です。だから私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出、寿命、皆様もそれぞれの思い出の中に歌丸師匠を生かしておいてくださいね。本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで側に置いてくださってありがとうございました。頼る人がいなくなりました。合掌。

 ▼林家たい平 突然の訃報に接し、まだ言葉が見つかりません。病室で毎日発声練習をなさってると聞いてましたので、近々お顔を見にうかがおうと思っていた矢先でした。「笑点」に入って、まだどうしたらいいのか分からない時に、優しいお言葉をかけていただき、どんなに助けていただいたか分かりません。歌丸師匠に出会えましたことは私の落語家人生にとって宝物となりました。もっともっと落語のお話もしたかったです。残念でなりません。歌丸師匠、今まで落語界のため、笑点のため本当に本当にありがとうございました。最後の最後まで落語に向き合った師匠は格好よかったです。ご冥福をお祈りいたします。

 ▼林家三平 歌丸師匠、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。メンバーに入ったばかりの私に、いつも温かい言葉をかけてくださったこと、一生忘れません。そして、私の家族までいても気にかけてくださいました。「お母さんは苦労したから大切にね。」「みどりのお姉ちゃん、何とかしなさいな、峰さんがありゃかわいそうだよ」と思わず笑顔になる一言が収録現場で緊張する私の肩の力を抜いてくださいました。「慌てず、急がず、自分のペースで」「ローマと一緒、大喜利も1日にしてならず」、優しく鋭い指南もして下さいました。師匠、本当に本当にありがとうございました。自分ももっともっと精進いたします。ご冥福をお祈りいたします。

 「笑点」の司会を歌丸さんから引き継いだ春風亭昇太(58)はこの日夕、東京都内で取材に応じ 「決して具合がいいわけじゃないという話は聞いていたので、そんなことになったら嫌だなと思っていたんですが、その日が来てしまったんだなということですね…すごく残念です」と沈痛な面持ち。一番の思い出は、司会引き継ぎの際に「あまりいろいろなことを気にしないで、昇太さん、好きにやってくださいよ」と声を掛けられ「すごく優しい言い方をしてくださって、とてもありがたかったです」と感謝した。

 林家木久扇(80)三遊亭小遊三(71)のコメントは本人の希望によりなかった。小遊三は3日に会見予定。

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2018年7月2日のニュース