阪神・岡田新監督 先を見据えてこその生え抜き指揮官 中核選手は一貫して起用

[ 2022年10月19日 07:00 ]

17年9月8日、プロ通算2000安打を達成した鳥谷(撮影・岩崎哲也)
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 【連載・岡田の考え(4)】補強第1弾が日本ハムからの内野手獲得となった。前回の岡田彰布監督の1年目にデビューしたのが鳥谷敬だ。03年ドラフトで自由獲得枠で阪神に入団。監督就任前だった岡田は、自らスカウト登録までして、鳥谷獲得実現に向け、情報収集に当たっていた。

 狙っていた戦力だった。打撃と守備の高い能力に加え、体の強さを岡田は高く評価していた。母校・早大からも人間性や野球に対する姿勢の評価も入手していた。熱意が伝わり、鳥谷は阪神を選択した。

 だが、阪神は03年に星野仙一監督でリーグ優勝を果たした直後。優勝メンバーで、遊撃のレギュラー・藤本敦士の人気は高かった。競争の中で、鳥谷を使っていくと、その反発は指揮官に向かった。「実績もないのに」「早大の後輩だからか」の声が耳に届いた。スタメンで起用し、結果が出ないと、さらに声高となった。

 それでも、岡田の信念は揺るがなかった。「鳥谷と心中するんか、と言う人もいる。選手と心中するなんてするかいな。チームの勝利を考えて使っている。心中なんてするわけない」と事あるごとに語った。目の前の試合はもちろん大事。同時に5年先、10年先のチームをイメージしていく。これこそが生え抜き監督の使命だと岡田は考えている。

 鳥谷も、期待に応えた。入団の04年9月9日のヤクルト戦から18年5月27日の巨人戦まで1939試合に連続出場。鉄人・金本知憲を抜き、広島・衣笠祥雄に続く歴代2位の出場記録をつくった。スタートラインとなったヤクルト戦はスタメンではなく、7回に代打で空振り三振。そこからはい上がり、10年以上遊撃の座を守った。17年には藤田平に続き、球団史上2人目の生え抜き2000安打を達成した。

 岡田の言葉には「選手は差別しない。でも区別はする」というものもある。同じプロでも力の差は当然ある。勝負の世界で勝つためには、全員平等というのはありえない。厳しさと愛情を持つからこその区別なのだ。

 核となる選手は一貫して起用する。リーグ優勝した05年の打順パターンは146試合で78通り。一方、22年の阪神の打順は143試合で111通りと固定できなかった。「一番うまくなるのが11月。安芸キャンプではいろんなことができる。若手のレベルアップもやっていく」と先を見据える岡田が、どんなメンバーをピックアップして戦うか。23年の開幕オーダーは大きな意味を持つ。=敬称略=(鈴木 光)

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