阪神・岡田監督の4番論「コロコロ変わっていては強い打線にはならん」 求められる“顔”としての存在感

[ 2022年10月16日 07:00 ]

04年7月、逆転3ラン放った金本(左)を迎える岡田監督
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 【連載・岡田の考え(1)】 岡田彰布氏(64)の15年ぶりの阪神監督復帰が球団から発表された。前回05年の優勝に導いた実績と卓越した野球観を持ち、いまの猛虎の課題にどう対処していくのか。04~08年の1次政権でのチームづくりも振り返りつつ、「岡田の考え」に迫る。

 岡田彰布は監督としてオーダー表を記入する際、まず4番の名前から書き入れる。攻撃の中心となる4番に不安材料がないことが安定した試合運びにつながる、と確信している。故障や不振で「さあ4番をどうする」と苦慮すれば、その分、戦う上で後手に回ることになるのだ。

 「4番がコロコロ変わっていてはあかん。強い打線にはならん。みんなが認める4番がいるチームが強いんや」が持論だ。味方だけでなく、相手にも一目置かれる4番であってほしい、と思っている。いきつくところは打率、打点、本塁打という数字ではなく、チームの顔としての存在感だ。

 大阪で生まれ育ち、熱心な阪神ファンだった父親の影響で、幼いころから歴代の阪神4番を見て、自らも中軸を経験した。その上で、「阪神の4番と言えば、やっぱり掛布(雅之)さんやな。存在感があった」と断言する。個々の数字なら、85年当時は3冠王バースが上だった。だが、敵味方が認める存在感、チームの勝敗を背負う責任感、ここ一番での勝負強さを加味すると、掛布以外に選択肢はなくなる。

 存在感という意味で04年の監督就任時に4番に指名したのが金本知憲だった。前年は主に3番。「これからお前を4番で行く」と伝え、「好きなように打ちゃあええんよ。全打席ホームランを狙っていいんや」と背中を押した。移籍1年目の03年を19本塁打で終えた金本は岡田の思いに応えるためにも打撃を改造。浜風が吹く甲子園球場でも量産できるように中堅から左翼方向への強打を磨き、37歳の05年には自己最多40発でリーグ優勝に大きく貢献した。

 第2次政権の4番候補には大山悠輔、新外国人選手も挙がる中、熱い視線を送るのは佐藤輝明だ。新人だった昨季は横浜スタジアムの場外弾などで強烈な印象を残しながら、2年目の今季は打率、打点が前年超えでも肝心の本塁打で下回った。「飛距離を持っているのに、タイミングを取るのが遅い。何を狙っているのか分からない」とネット裏から厳しい指摘もした。

 大器を、どう導くのか。できないことを何とかできるようにする…というアプローチを採らない。打率3割の好打者でも、7割は凡退するのが野球。苦手な球種、コースの対策に時間を費やすより、ボールに手を出さず、打てる球に集中するだけ。意識も含めて課題は見えている。就任会見で佐藤輝に発するメッセージから、岡田の4番教育が始まる。=敬称略=(鈴木 光)

 ◇岡田 彰布(おかだ・あきのぶ)1957年(昭32)11月25日生まれ、大阪府出身の64歳。北陽(現関大北陽)から早大を経て79年ドラフト1位で阪神入り。強打の内野手として80年に新人王。85年には球団初の日本一に貢献。94年にオリックスへ移籍し、95年引退。通算成績は1639試合で打率・277、247本塁打、836打点。オリックス、阪神のコーチを経て04年に阪神監督就任。05年にリーグ優勝を果たし、08年に辞任。10~12年はオリックス監督を務めた。

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