阪神・島本も帰ってきた 1039日ぶり1軍登板で復活の巨人3人斬り 才木に続き後半戦フル回転任せた

[ 2022年8月5日 05:15 ]

セ・リーグ   阪神0-7巨人 ( 2022年8月4日    東京D )

<巨・神>4番手で登板した島本(撮影・坂田 高浩)
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 阪神・島本浩也投手(29)が4日の巨人戦から昇格し、2019年9月30日の中日戦以来、1039日ぶりの1軍登板を果たした。6回に4番手として登板し、1三振を奪って3者凡退と復帰マウンドで躍動。20年11月の「左肘内側側副じん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)」から長いリハビリを耐え抜き、復活の一歩を記した。試合には0―7で惨敗した猛虎だが、才木に続いて、頼れる男が戦列に帰ってきた。

 東京ドームに流れた「ピッチャー・島本」のコールに、虎党で埋まった左翼スタンドが沸いた。1039日ぶりの1軍マウンド。左腕は久しぶりの登板前の緊張を味わいつつ、ここまでに至る道のりも思い返しながら、勝負師の顔に切り替えて打者に対した。

 「歓声がすごかったというか…頑張ってきて良かったなと。マウンドに行くときは緊張していたんですけど、この歓声を聞いてリラックスした。マウンドに上がるまでは(1軍登板まで)長かったなと思ったんですけど、上がったら、あんまり3年もかかった感じはなかった」

 3年ぶりのブランクを感じさせない。強気の投球が光った。先頭の中山に対して投じた初球は外角低め144キロ直球。ストライクを奪うと、最後は138キロフォークで空振り三振に仕留めた。続く山崎伊は右飛に料理。最後は吉川を外角へのスライダーで遊ゴロで締めた。3者凡退で復帰登板を終え、「どんどんストライクゾーンで勝負しようと思った」とうなずいた。

 20年11月に左肘内側側副靱帯再建術を受け、同年の契約更改で育成契約に。「(術後)1年半くらいまでは全然投げられない状態だった」と、ぶり返す痛みに苦しみ続けた。苦境を過ごす左腕を支えたのは、家族の存在だった。

 夫人には「退院してすぐは運転もできないですし、妻に毎日送り迎えしてもらって。生活全てで助けてもらいました」と全面サポートを受けた。長女・咲良(さら)ちゃん(3)からは初のプレゼントとして幼稚園で描いた似顔絵を父の日に渡され「またそれを見て頑張ろうと(思えた)」と励まされた。「ずっと(家族に)心配されていたので。とりあえずまだ1試合ですけど、投げる姿を見せられてよかった。良い報告ができた」とホオを緩めた。

 同日に同じ手術を受けた才木が一足早く1軍戦力となり「自分も早く上がりたいと刺激はもらいました」。次なる目標は1軍での共闘。入団時「126」だった背番号は3度の変更を経て「46」になった。「きょうからまた、この背番号で活躍できるように」。1軍通算106試合登板でいまだ無敗。猛虎の鉄壁ブルペン陣に、また一人、頼れる男が加わった。(阪井 日向)

 【島本・1軍復帰登板までの経過】
 ▽20年11月5日 阪神は島本が左肘内側側副靱帯(じんたい)再建術(通称トミー・ジョン手術)および左肘関節鏡視下滑膜切除術を終え、退院したことを発表。
 ▽12月8日 年俸2800万円で契約更改。育成選手となり、背番号69から120に変更。
 ▽21年2月1日 2軍の安芸キャンプに参加。
 ▽12月10日 年俸2100万円で契約更改。リハビリが続いており「来シーズンからしっかり試合で結果出していけるように」と意欲。
 ▽22年2月1日 2軍の安芸キャンプに参加。
 ▽5月上旬 術後初のフリー打撃登板。
 ▽5月中旬 同初のシート打撃登板。
 ▽5月29日 ウエスタン・中日戦で705日ぶりに実戦登板し1回無失点。「長かったな…というのと、甲子園で投げられたのが良かった」
 ▽6月20日 2年ぶりに支配下選手契約を結ぶ。背番号は46。矢野監督に「恩返しというか、戦力になって優勝したい」

 《藤川球児氏もおめでとう「しかも、、ちゃんと抑えてる!」》NPB通算243セーブを挙げた阪神の藤川球児スペシャルアシスタントが、ツイッターで島本の復帰を祝福した。「島本帰ってきたー しかも、、ちゃんと抑えてる! 一軍復帰おめでとうございます」(投稿文のまま)とつづった。16年から20年までチームメートで、島本は同じトミー・ジョン手術を受けた偉大な先輩から治療器具を借りるなど頼ってきた。試合後、「手術前から、いろんなことを言ってもらえたので、感謝をしている。メンタルの面で、ずっと支えてもらってきた」と、こうべを垂れた。

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