【内田雅也の追球】「避雷針」の安心――雷雨中止の甲子園 快挙の陰の準備と研究

[ 2019年8月30日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神(中止)中日 ( 2019年8月29日    甲子園 )

<神・中>試合開始直前に甲子園を襲った大雨に銀傘もかすんだ(撮影・井垣 忠夫)
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 南海(現ソフトバンク)のエースで監督も務めた杉浦忠と立教大同窓の長嶋茂雄の友情を描いた、ねじめ正一の『天使の相棒』(ホーム社)はプロローグに次いで、「避雷針のある家」と題した章で始まる。

 避雷針が備えてある家というのは杉浦が生まれ育った愛知県挙母(ころも)町(現豊田市)の実家だ。東部中学時代はセンターを守っていた。戦後間もない1949(昭和24)年ごろの話である。

 <ピンチになっても杉浦の姿を見ると気持ちが落ち着く>と<お地蔵様みたいな存在>で<何があっても安心という気持ちになれるのだから、杉浦はやはり避雷針だ><避雷針のある家で生まれ育ったから、避雷針に似てきてしまったのかもしれなかった>とある。この周囲に与える安心感は投手となった挙母高時代、立教大時代、そして南海時代と高まっていく。

 この日の甲子園。夕方5時半になると急に空が黒くなり、鬼のような雨が降ってきた。稲光が走り、雷鳴がとどろく。スタンドで悲鳴が響いた。

 電光板で雷鳴注意が掲示され、ウグイス嬢の場内アナウンスが流れた。

 「甲子園球場には避雷針が設置されていますが、十分ご注意ください。避雷針に落雷した場合、非常に大きな音がいたします。あらかじめ、ご承知ください」

 雷をどう避ければいいのかと案じ、避雷針を頼ったのは本音である。

 雷鳴が響きわたる少し前、球場内OB室の前で中村和富(和臣)に会った。来月で84歳になる。健康そのもので、見せてくれた歩数計は7800歩台。1日8000歩を欠かさず、山にも登るそうだ。

 熊本工から1954(昭和29)年入団。現役時代は投手として通算93試合に投げ、13勝をあげている。引退後も用具係、マネジャー、スコアラー、球団部長……とフロントマンとして計40年以上、阪神に携わった。

 「いま、振り返って思うのはね」と打ち明けるように言う。「江夏はえらいヤツやったね」

 江夏豊全盛時、中村はマネジャーだった。ベンチ内でスコアをつけていた。「登板後、必ずやって来て、スコアブックを持ち帰っていった。オレは球種やコースもつけていたからね」

 江夏は自身の配球の跡をたどり、ノートに写し替える。反省や教訓をあぶり出した。

 中村が言いたいことは分かった。今はデータも膨大にある。だが、問題は本人の意識、考え方ではないのか。

 30日は、その江夏が延長11回をノーヒットノーラン、自らサヨナラ本塁打を放つ快挙を成し遂げた日だ。1973(昭和48)年、この日は結局中止となったが、同じ甲子園での中日戦だった。

 つまり、江夏は避雷針だった。チームを安心させる信頼のエースだった。その陰には相応の準備と研究があったのである。 =敬称略=(編集委員)

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