高田監督、涙の辞任「途中で投げ出して申し訳ない」

[ 2010年5月27日 06:00 ]

<ヤ・楽>ベンチで顔を覆う高田監督

 ヤクルトの高田繁監督(64)が26日、成績不振の責任を取って辞任した。楽天戦に2―3で敗れて9連敗を喫した後、鈴木正オーナー代行兼球団社長(68)と緊急会談。辞意を申し入れて了承された。同監督は今季が3年契約の最終年。ここまで借金19でセ・リーグ最下位に低迷。20日に球団に一度は辞意を伝えていたが、慰留されて翻意していた。

【試合結果


 クラブハウスから球場内の会見場へ向かう高田監督に、ファンから「高田コール」が送られた。覚悟を決めた背中に浴びせるバ声はない。帽子を取った指揮官は目に涙を浮かべた。
 「ユニホームを脱ぎたいと話して了解を得ました。これまでも球団の方に頑張れと言っていただき、頑張ってきましたが、監督の進退でにぎわすようなことがあれば選手が野球に集中できない。決断すべきだと思いました。責任を取りたいと思った」
 決断を下したのはこの日だった。高田監督は球場入りすると、鈴木オーナー代行兼球団社長とクラブハウスで会談。試合前とあって、その際は「指揮を執るつもりです」とあえて発言。選手の動揺を抑えるため進退問題を封印して試合に臨んだ。しかし、楽天相手に1点差で敗れて交流戦9連敗。試合後、再び鈴木オーナー代行と会談してあらためて辞意を申し入れた。
 4月下旬から大型連敗が続いて借金10を超え、再浮上を目指した交流戦も開幕から連敗が続いた。「責任を持って預かったチームを途中で投げ出すようなことはしない。自分からギブアップすることはない」と一貫していた高田監督だったが、借金が15となったところで球団側に進退伺を出した。今月20日には鈴木オーナー代行と会談して辞意を申し入れたが、慰留されて一度は了承。当面は指揮を継続する異例の発表もあった。しかし直後の22日、ロッテ戦(千葉マリン)で4―20と歴史的惨敗。高田監督は試合後、辞任の可能性を口にしていた。

 ◆高田 繁(たかだ・しげる)1945年(昭20)7月24日、大阪府生まれの64歳。浪商から明大に進み、リーグ戦通算127安打は現在も東京六大学通算最多安打記録。67年ドラフト1位で巨人に入団。V9メンバーとして活躍し、外野守備では「塀際の魔術師」と呼ばれた。80年に引退。通算成績は1512試合、打率・273、139本塁打、499打点、200盗塁。85年から4年間、日本ハムの監督を務めたほか、05年から日本ハムでGMを務めた。08年にヤクルトの監督に就任。昨季は3位でCSに出場した。

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2010年5月27日のニュース