ついに白河の関を越えた大旗 “野球不毛の地”球児たちの躍進を探る「東北野球の底上げ」2つの柱

[ 2022年8月22日 21:05 ]

<仙台育英・下関国際>閉会式でグラウンドを一周する仙台育英ナイン(撮影・藤山 由理)
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 いかにして東北の悲願が成し遂げられたのか。1915年の夏の第1回大会から108年目の春夏通じての全国初制覇。東北勢はここ10年で6県全てがベスト8入りを経験するなど着実に力をつけてきた。東北球児たちの躍進を探る「東北野球の底上げ」に迫った。

 甲子園での優勝になかなか届かなかったが、東北各校の地力は上がっていた。特に最近では、11、12年の光星学院(現八戸学院光星=青森)、15年の仙台育英(宮城)、18年の金足農(秋田)と4度の準優勝。北国という地理的な不利を覆し、ついに日本一までたどり着いた。

 各県で強化育成への取り組みが進んでいた。宮城県高野連は「東北で最初に日本一になろう」のかけ声のもと、18年に組織改革を敢行。約20人からなる「強化育成部」を発足させ、県内から東北高校野球のレベルアップを図った。同高野連の松本嘉次理事長(55)は「今年の夏を見ても、6校中5校が初戦突破した。東北の強さが表れた」と手応えを口にする。この強化育成の2つの柱が「指導者」と「選手」だった。

 選手強化の面では、県内の4地区(南部、中部、東部、北部)ごとに、社会人チームや大学生を講師とする技術講習会を開催。大学では全日本大学野球選手権で3度の優勝を誇る東北福祉大、社会人では13年の都市対抗で8強入りした日本製紙石巻といった強豪チームの選手が、球児に技術指導を施してきた。

 さらに、指導者に対しては主に年1回、全国でも有名な指導者を招いた講演会を実施。智弁和歌山の高嶋仁元監督や、日大三(西東京)の小倉全由監督ら優勝経験のある指導者から、甲子園で勝つための心構えや練習のノウハウを授かり、指導者の強化も図った。

 避けて通れない冬場、グラウンドでの練習が行えないことで生じる実戦不足。克服には県をまたぎ、東北一丸で取り組んだ。09年に「みちのくフレッシュBリーグ」が発足。聖光学院(福島)に加え、日大山形、東海大山形、盛岡大付、一関学院(岩手)、聖和学園(宮城)の6校が参加し、1、2年生主体のBチームが各校2試合ずつのリーグ戦を実施。11年には秋田中央が中心となった「東北レボリューションBリーグ」も始まった。

 ブルージェイズ・菊池や、エンゼルス・大谷、今季28年ぶりの完全試合を達成したロッテ・佐々木朗らプロ野球、メジャーで戦う選手を続々と輩出。東北の野球少年は高い目標を実感し、組織的な取り組みが育成を後押しした。「東北が切磋琢磨(せっさたくま)しながらやってきた。6県のレベルは上がっていると思います」と宮城県高野連の松本理事長。かつて野球不毛の地とまで呼ばれた「甲子園で勝てない東北」は、もう過去のものとなった。(スポニチ高校野球取材班)

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