【高校野球 名将の言葉(18)天理・橋本武徳監督】選手の心理見透かし、力信じ「ぼちぼちいこか」

[ 2022年8月22日 08:00 ]

90年、第72回全国高校野球選手権で優勝し、橋本監督(左)を先頭に宿舎へ凱旋した天理ナイン
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 「ぼちぼちいこか」

 1990年8月14日に行われた夏の甲子園大会2回戦、天理―成田戦。天理の7回攻撃前、橋本武徳監督は、ナインを前に冒頭の言葉だけを口にして、円陣を解いた。

 決して、悠長なことを言っていられるような戦況ではないはずだった。6回終了時で0―1の劣勢…に加え、天理打線は成田の好左腕・猪股広の前にパーフェクト投球を許していた。そのタイミングで指揮官はあえて、関西弁特有の柔らかいイントネーションを帯びた指示を発した。その行間からは“お前たちなら、やれるやろ?”というニュアンスも感じ取ることができる。はやるナインの心理を見透かして肩の力を抜くとともに、発奮を促す狙いを帯びていた。

 その円陣の直後。回の先頭、1番・寺川敏春主将のバットが、猪股の49球目を捉えた。チームを鼓舞する左前打を放った寺川は試合後、「あの(橋本監督の)ひと言で力みが取れました。とにかく初球から打ってやろうと思い、真っすぐにヤマを張ったんです」と振り返っている。名将の言葉は、間違いなく試合の流れを変えた。1死二塁から3番・大森篤が左中間適時二塁打で続き、試合を振り出しに戻した。

 そして、1点を追う9回にも効果を発揮した。同点に追いつき、なおも1死一塁。7番・井上浩三が右中間へのサヨナラ二塁打を放ち、激闘に終止符を打った。その直前、井上は打席から何度もベンチに目をやり、橋本監督の指示を確認した。だが指揮官からは何もサインは出なかった。9回に入る直前、すでに指示は出し終えていたからだ。それは再びの「ぼちぼちいこか」――。あとは選手たちの力を、信じるのみだった。

 指揮官は激闘を制した試合後、「7回も9回も選手に“ぼちぼちいこか”と声をかけたんです。そうしたらやってくれて信じられません。この子らは、私が考えた以上のことをやってくれる。すごいですね」と教え子たちの奮闘を称え、手放しで喜んだ。この2回戦の劇勝で勢いに乗った天理は「ぼちぼち」どころか、一気に86年以来2度目となる夏の頂点へと駆け上がった。名将の言葉は、その追い風となった。

 翌91年夏を最後に2度目の監督生活に終止符を打った橋本監督だったが、11年途中からは三たび監督に就任。以降、12年春夏、15年春夏と4度、チームを甲子園に導いた。15年夏を最後に一線から退き、総監督に就任。5年後の20年10月9日、75歳で永眠した。現役時代は天理の外野手として62年夏の甲子園に出場。監督としては夏の甲子園大会を2度制し、春夏通算20勝を挙げた名将。その言葉は今も、野球人たちの心の中に息づいている。

 ◇橋本 武徳(はしもと・たけのり)1944(昭19)年12月8日、奈良県天理市出身。天理では外野手として62年夏の甲子園大会出場。法大を経て82年に天理の監督就任。83年夏に監督として甲子園初出場。86年夏に1度目の全国制覇。同大会後に退任も、90年から監督に復帰し同年夏に2度目の全国制覇。91年夏の大会後に退任したが、11年から三たび監督復帰。15年夏に退任し、以降は総監督を務めた。春夏通算11度、甲子園に出場し、20勝9敗。20年10月9日、下行結腸がんのため死去。享年75。

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