【内田雅也の追球】完敗の阪神に「希望」を見る 大差でも粘り、走り、守る――責任を全うする姿勢

[ 2021年7月14日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2ー8DeNA ( 2021年7月13日    甲子園 )

<神・D(14)>8回、糸原は四球を選ぶ (撮影・平嶋 理子)                     
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 希望学(正式には希望の社会科学)という学問がある。希望を個人の内面の問題ではなく、社会にかかわる問題として研究する。

 その希望学を扱う東大社会科学研究所の所長(教授)・玄田有史は、スポーツ番組で時に言われる「感動をありがとう」という表現に違和感をおぼえるそうだ。著書『希望のつくり方』(岩波新書)の「おわりに」で記している。

 <応援チームが激戦を制して勝利した瞬間、たしかに感動をおぼえます。よくやったチームにありがとうと思わずいいたくなります>。9回裏2死から3点差を逆転サヨナラ勝ちした前夜の阪神ファンがそうだろう。

 一方、敗戦時に「感動をありがとう」はあまりない。<しかし、正々堂々と戦って負けた時にこそ、結果ではなく、その戦う姿に感動を見出すことはできるはずです>。

 この夜、2―8で完敗した阪神にも感動は見いだせるだろうか。
 感動という表現がはまるかどうか、心の針が振れたシーンは、藤浪晋太郎が4点を失い、1―8と大差がついた後の8回裏にあった。

 無死一塁で糸原健斗がファウル4本で粘り、9球目を選んで四球をもぎ取った打席である。敗色濃厚の展開でも自棄にならず、懸命につないだ姿勢に感じ入る。

 同じ姿勢は9回裏1死、1ボール2ストライクと追い込まれながら難球を選んで四球で出た梅野隆太郎にも見えた。

 「決してあきらめない」などという、勝利に向けた敢闘という意味もあるかもしれない。いや、チームの勝ち負けは別として、個人として、やるべきことはやるんだ、と責任を全うする姿勢を見た気がする。

 少し前に書いたが、野村克也は「優勝は強いか弱いかではなく、“ふさわしい”かどうかで決まる」としていた。その条件を<各自が自分の役割を認識し、責任を全うする>と著書『あぁ、阪神タイガース』(角川書店)に記している。今季の阪神はできているのではないか。少なくともやろうとしている。

 他にも、11本転がった内野ゴロで、力走を怠っていた選手はいなかったように見受ける。

 打てないのは悔しく、情けないだろうが、懸命に走り、そして守る。主将で4番の大山悠輔は、凡打に疾走し、2つ決めた5―4―3併殺の好守もあった。あるべき姿勢は示していた。

 前夜の劇的勝利の勢いを持ち越せなかったのは確かだ。打線は依然として低調で、左腕・坂本裕哉独特の、はさんで、スクリュー回転させるチェンジアップに戸惑った。打線の梅雨明けはまだ先になりそうだ。

 そんな状態で、きょう14日、球宴・五輪ブレークを前にした最終戦を迎える。せっかく開幕から全員で戦い、守りきった首位の座である。再開は約1カ月後の8月13日で、今年は選手たちにとって異例の長い夏休みとなる。

 <希望は与えられるものではない。自分たちの手で見つけるものだ>と冒頭の書にある。

 選手たちは当然、疲労がたまっているだろう。ただ、あと1試合だ。後半戦に向け、猛虎当人たちと、多くの猛虎党たちが希望を見られる最終戦としたい。 =敬称略= (編集委員)

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2021年7月14日のニュース