ブライアント氏の死去から1年 “永遠”となったあの日の出来事

[ 2021年1月27日 09:00 ]

カリフォルニア州カラバサスの事故現場に捧げられた花(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】ちょうど1年が過ぎた。日本時間の2020年1月27日。私は朝、目が覚めたときすでに起こっていた悲劇をまだ知らなかった。NBA元レイカーズのコービー・ブライアント氏が次女ジアナさんを含む8人とともに、ヘリコプターの墜落事故で死亡。その原稿を書くことは記者人生の中でもっともつらい作業だった。

 元ブルズのガードで現在はウォリアーズを率いているスティーブ・カー監督(55)は「すべてが止まってしまったような1日だった。あの日を忘れる人がいるとは私には思えない」と語っているがその気持ちは理解できる。ただ私は原稿を書くために手と目の動きを止めることはできなかった。濃霧の中を離陸したヘリ。その理由は最後までわからなかった。ヘリのパイロットだった幼なじみに状況を説明するとそれは視界を奪われたときに操縦士が平衡感覚を失う「バーティゴ(空間識失調)」である可能性が高いと言われたが、全員が死亡しているために現在もなお事故原因はわかっていない。

 墜落の瞬間、9人の人生がそこでストップした。まだ11歳でバスケットボールの選手だったジアナさんの遺体の確認には時間がかかり、それを伝えるAP通信社の電文を読んで胸が痛んだ。

 41歳でこの世を去ったブライアントはその後、自分が殿堂入りを果たしたことを知らないし、直後にNBAを窮地に陥れる新型コロナウイルスの感染拡大によるシーズン中断も知らない。そして自分が愛したレイカーズが10年ぶりにファイナルで優勝したことも自分の目に焼き付けることはなかった。

 米国時間の2021年1月26日。NBAやレイカーズで公式の追悼セレモニーが営まれることはなかった。ワクチン接種が進んでいるとは言え「ウイルス」という目に見えぬ敵が存在する現状で人を集めることはできない。しかしレイカーズの本拠地「ステイプルズセンター」の前には多くの花が置かれ、カリフォルニア州カラバサスの墜落現場まで足を運んで祈りを捧げる人たちもいた。

 ニューオーリンズ(ルイジアナ州)を本拠にしているペリカンズにはイタリア出身のニコロ・メッリ(29)というフォワードが在籍している。彼はイタリア北部にある人口17万人のレッジョ・エミリアの出身。そこはブライアント氏が少年時代、イタリア・リーグでプレしていた父ジョーさんとともに生活していた場所。そしてメッリはやがてNBAのスーパースターとなる“先輩”と同じ学校に通っていた。

 「自分が故郷でバスケ人生を始めるにあたって、多くの人に励まされた」とメッリは語っている。なぜならそこはファイナルで5回優勝し、球宴に18回選出され、五輪で2度金メダルを獲得し、現役最後の試合で60得点を記録してNBAを去っていったスーパースターのバスケ人生の“起点”でもあったからだ。

 あれから1年。誰も忘れてはいないし、忘れることもない。還暦をすぎているのに、初めて目から涙をこぼしながら原稿を書いた私にとってもあの日は“永遠の1日”だ。

 レイカーズは日本時間の28日、ブライアント氏の故郷フィラデルフィア(ペンシルべニア州)で76ersと対戦する。昨年の1月25日、ここでレブロン・ジェームズ(36)は当時歴代3位だったブライアント氏の通算得点記録を更新し、翌26日に朝、その本人から祝福の電話を受けた。そしてロサンゼルスへ戻る移動中、機内で仮眠をとっている最中に、同僚のアンソニー・デービス(27)に起こされて悲報を受け取っている。おそらく76ers戦では誰よりも胸に秘める思いが強いかもしれない。結果に関わらず、すべてのプレーが彼にとっての、あるいは彼なりの“追悼”になるのだと思う。

 もう、あれから1年が経った。コービーは今、天国で何を見ているのだろうか…。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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