引退の琴奨菊 再戦したいのは「稀勢の里関」幕内史上最多66度対戦も“まだ足りず”

[ 2020年11月16日 05:30 ]

16年の初場所、史上最多タイ58度目の稀勢の里戦で勝利した琴奨菊(左)
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 日本相撲協会は15日、臨時理事会で元大関の西十両3枚目・琴奨菊(36=佐渡ケ嶽部屋)の現役引退と、年寄「秀ノ山」の襲名を承認した。オンライン会見に臨んだ琴奨菊は自分の相撲が取れなくなったことを引退の理由に挙げ、時折涙を浮かべた。膝や大胸筋のケガなどに見舞われながらも36歳まで理想の相撲を追求し、全てを出し切った。今後は佐渡ケ嶽部屋付きの親方として後進の指導に当たる。

 十両に落ちても相撲に向き合ってきた元大関だが、気持ちに体がついていかなくなった。引退の決断について「応援してくれる方に結果を出そうと思ってやったが、体が言うことを聞かず、ここが自分の終わりかなと思った」と説明した。

 最後の相撲となった6日目の千代ノ皇戦。土俵に上がる前に引退を決めていた。この日の朝、体の状態が思わしくなく、両国国技館に向かう車中で、師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇・琴ノ若)に「勝っても負けても最後にします」と電話で伝えた。祐未夫人と長男・弘人くんを国技館に呼び、最後の塩まきの前には両腕を広げて上体を大きく反らす「琴バウアー」を久々に披露した。「応援してくれた方に感謝の気持ちが伝わればと思った」と思い返した。

 会見では柔和な笑顔も見られたが、印象深い一番に話題が及ぶと右目の涙を拭った。関取に上がる前の厳しい稽古や師匠への思いがこみ上げて声を震わせ「思い出の一番は全てです」と絞り出した。

 飽くなき探究心を持てた原動力についてはライバルの存在を挙げ、「自分も負けていられないと思って頑張った」と明かした。子供のころから戦ってきた関脇・豊ノ島(現井筒親方)に加え、同じ二所ノ関一門の横綱・稀勢の里(現荒磯親方)もその一人だった。

 「自分が力を試せる一番の相手で、何も考えずにぶつかれた。一番の思い出は三番稽古で誰よりも熱くできたこと」。幕内では史上最多66度の対戦(36勝30敗、2不戦勝1不戦敗を含む)を繰り広げ、もう一度対戦したい相手を聞かれると「稀勢の里」の名前を挙げた。

 史上6位の幕内718勝など、多くの記録に名を連ねた。誇れることを聞かれると「大相撲の歴史の中でいろんなことを残せたことと、最後まで自分を信じて頑張ってきたこと」と話した。最後は親交が深い中村親方(元関脇・嘉風)から花束を渡され、とびきりの笑顔で締めくくった。

 ◆琴奨菊 和弘(ことしょうぎく・かずひろ)本名・菊次一弘(きくつぎ・かずひろ)1984年(昭59)1月30日生まれ、福岡県柳川市出身の36歳。小学3年の時に相撲を始め、高知の明徳義塾中・高に進学。国体など高校7冠で佐渡ケ嶽部屋に入門。02年初場所で初土俵を踏んだ。05年初場所新入幕。11年秋場所後に大関昇進を決め、口上には宮本武蔵の著書を参考に「万理一空」を使い「目標を見失わず、努力を続ける」思いを込めた。16年初場所で初優勝。17年春場所で関脇に転落した。優勝1回。殊勲賞3回、技能賞4回。得意は左四つ、寄り。1メートル81、186キロ。

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