史上最低の「ダメ横綱」北尾光司氏が残した闘病の記録 妻がテレビ初出演、波乱の人生初告白

[ 2019年6月27日 10:00 ]

双羽黒時代の北尾光司氏
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 今年2月10日に慢性腎不全で亡くなった大相撲の第60代横綱・双羽黒の北尾光司氏(享年55)。ズル休み休場、付け人への暴力、親方との対立騒ぎなど数々のトラブルを起こし、史上最低の「ダメ横綱」と呼ばれた角界の異端児を34年間支え続けた妻・淑惠さんが、28日放送のTBS「爆報!THEフライデー」(金曜後7・00)でテレビ初出演する。亡くなる前の十数年は表舞台に立つこともなく突然の死を迎えたが、その波乱に満ちた人生が初めて明かされる。

 北尾氏は幼少期から恵まれた体格を持ち、中学卒業後に鳴り物入りで名門・立浪部屋へ入門すると、86年に22歳の若さで横綱に昇進。のちの貴乃花、白鵬と並ぶスピード出世に、周囲の期待は否応なしに高まった。横綱昇進を機に、しこ名を双羽黒に改名したが、昇進後の成績は振るわず在位8場所で優勝はゼロ。稽古嫌いで、親方に怒られると実家に帰省するなどやりたい放題。その後は立浪親方と衝突し、24歳4カ月で横綱廃業へと追い込まれた。

 北尾氏の悪事をマスコミも次々と追及し、評価は急降下の一途をたどった。そんな中、ただ一人北尾氏を信じ続けたのが、当時交際していた淑惠さんだった。北尾氏が小結に昇進した当時、テレビで見て一目ぼれ。バレンタインチョコを渡したことをきっかけに交際をスタートさせた。横綱廃業後、北尾氏に対し世間から厳しい目が向けられる中、医師として働いていた淑惠さんが“今こそ支えるときだ”と決断し結婚。そんな妻の期待に応えるべく、北尾氏も冒険家、タレント、格闘家へと職を探った。だが、どの仕事も軌道に乗らずにいた。

 そんな中、喧嘩別れした立浪部屋から救いの手が差し伸べられ15年越しに和解。親方をサポートする「相談役」として角界に復帰した。こうして再出発へ意気込んだ矢先、頑丈だったはずの元横綱の体を異変が襲った。

 些細なかすり傷から両足切断の危機に陥り、その後も弱り切った北尾氏はかつての横綱の見る影もなく、自力で歩くことのできない寝たきり生活を余儀なくされた。元横綱の体を一人娘と淑惠さんで懸命に介護するが、その負担はあまりにも大きく、北尾氏は何度も自殺未遂をはかった。淑惠さんはそんな北尾氏を励まし続けたが、思いは届かず、今年の2月に緊急入院先で静かに息を引き取った。

 そんな北尾氏は、死の直前まで闘病の記録をするように淑惠さんに言い続けていた。実は、淑惠さんと愛する娘に、ある意外なメッセージを残していたのだ。

 その思いの詰まった病床での北尾氏の映像を公開。そこには、栄枯盛衰の人生を歩んだ元横綱が行き着いた一つの結論が記録されていた。

 果たして、人生の最後に残した言葉とは――。思いを受け取った一人娘も初めてテレビに出演し、残された家族の全てを語る。

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