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【コラム】金子達仁

これは惜敗ではない 完敗である

[ 2021年8月4日 19:30 ]

東京五輪第12日 サッカー男子準決勝   日本0―1スペイン ( 2021年8月3日    埼玉 )

 これ以上、何かできることはあったのか。

 思いつく答えが、わたしにはない。

 この試合の日本選手に採点をつけるとしたら?失格は誰もいない。及第点が何人か。あとはほとんど、満点に近い出来だった。

 堂安の運動量は感動的ですらあった。GK谷はこの大会におけるベスト11に選ばれるかもしれない。そして吉田。この日の彼ほど「頼む!」との祈りをかなえてくれた日本人DFがかつていただろうか。わたしの中での「日本歴代最高DF」の名前が、この日、何十年ぶりかに書き換えられた。

 それでも、日本は勝てなかった。勝てなかっただけでなく、内容でも劣勢を強いられた末の負けだった。

 何が日本には足りなかったのか。

 3年前、W杯ロシア大会の決勝トーナメント1回戦で、スペインは敗れた。一方的に押し込みながら、相手にワンチャンスをモノにされたあげくのPK戦で敗れた。

 会場はルジニキ・スタジアムだった。相手はロシアだった。

 もしコロナがなく、埼スタが超満員の観衆で埋まっていたら、と考えずにいられない自分がいる。無観客での開催が常態化した欧州では、ホームチームの勝率が激減した。観客のいないスタンドは、間違いなくアウェーチームの負担を軽減する。

 ただ、内容で完敗した試合を観客の後押しで拾ったロシアに、その後、何が残ったか。ならば、無観客での敗戦は、今後、中立地での開催でも力関係のベースとして計算できる、と考えることにする。今後W杯で強豪国とぶつかったとしても、「ホームの五輪だから戦えた」と思わずにすむように。

 では、敗因は何だったか。

 信じられないほどに頑張った日本だが、主導権を握られていた時間が長かったことは認めざるを得ない。なぜそうなったのか。
 驚くべきことに、シュート数では大きく劣った日本だが、相手に出させた黄色い紙の数では大幅に優(まさ)っていた。1対1でやられかけ、悪質な反則を使わざるを得なかったのは、むしろスペインの方だった。

 日本が劣っていたのは、個人の力ではなく、組織の力だった。頭の良さで負けた、と言ってもいい。

 120分の戦いの中で、日本にはただ頑張るだけ、ただ耐えるだけという時間帯が少なからずあった。その間、ほとんどの選手からはいかにして攻撃をするかという発想は消え、それがまたスペインの攻撃を呼び込む悪循環を生んでいた。

 スペインにもそうした時間がなかったわけではない。ただ、「いかにして相手を崩すか」をイメージし続けた時間は、明らかに日本よりも長かった。

 これは、スペイン人の頭脳が優れ、日本人が劣っているという話ではない。進学校でもまれているか、中堅校でのんびりやっているか、ぐらいの違いで、地頭のレベルは、実は本人たちが感じているほど大きなものではない。やり方次第では、追いつき、追い越すことも可能だと改めて実感できた惜敗でもあった。

 だから、いつか世界の頂点に立つその日のために、選手たちにはこの敗戦を徹底的に悔しがってほしい。健闘という言葉に逃げ込むのではなく、1点も取れなかった自分たちを責めてほしい。
 奮闘を認めた上で、あえて言う。これは惜敗ではない。完敗である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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