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【コラム】金子達仁

弱小から強豪へ、劣等感を自信に、日本人は変わった

[ 2025年7月29日 15:00 ]

横浜FC戦に臨むレアル・ソシエダード・久保(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

 いたのかもしれないが、わたしは出会えなかった。98年W杯フランス大会開幕直前、「優勝するのは俺たちだ」と豪語していたフランス人。

 「俺たちは個人主義者だから、ドイツ人のようにロボットにはなれない」と妙な自信を見せてくれるフランス人はいた。「我々に団体スポーツは向いていないんだ」と断言する人もいた。

 3年後の01年、フランス2部リーグで監督を務めていた元Jリーガーは笑った。

 「いまや2部の選手、君が代表に入ることはまずないだろうなって選手まで、俺たちは世界一だって胸を張ってるよ」

 現在はチェコ代表監督を務めるハシェックは驚いていたし、わたしも驚いた。人間は変わるものだが、日本や米国などに比べ、「変わる」ことに対するアレルギー反応が強い印象があるフランスでさえも、一度の世界一でかくも大きく変わるものなのか――。

 先の3連休の最終日、J2長崎はレアル・ソシエダードと親善試合を行い、1―0で勝利した。かたやシーズン真っ只中(ただなか)、かたや調整時期という差はあるにせよ、一昔前であれば大変な騒ぎになっていたことだろう。それがほぼ全国的にはスルーされてしまうのだから、日本の変わりようもまた凄い。

 アムール・ブラゴベシチェンスクというクラブをご存じの方はいらっしゃるだろうか。わたしが小学6年生の時、来日して日本代表と3試合戦った、ソ連3部のアマチュアチームである。我らが日本代表は、極寒のため半年近く屋外でのトレーニングができていなかったというチームを相手に、結局、一度も勝てなかった。

 日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したのは、この“惨劇”のたった10年前のことだった。かと思えば、この7年後の日本代表は、W杯メキシコ大会のアジア最終予選まで進出している。ソ連3部に勝てなかった日本代表にも、メキシコまであと一歩に迫った日本代表にも、加藤久さんはいた。

 今月のスポニチ「我が道」では井原正巳さんの人生が綴(つづ)られているが、彼のキャリアもまた興味深い。横山、オフト、ファルカン、加茂、岡田、トルシエと実に6人もの代表監督の下でプレーした彼は、W杯アジア1次予選敗退という立場から、最終的にはW杯本大会出場時のキャプテンというところまで駆け上がった。これほどの右肩上がり人生というのは、今後、ちょっと見られそうもない。

 しかも、大学を卒業する段階まで、彼はW杯出場はおろか、プロとして活躍する自分をもイメージできていないようだった。当時の日本サッカーの状況を考えれば少しも驚くことでないとはいえ、そんな状況からもW杯という舞台にまでたどりついたのだから、驚異的というしかない。

 何がいいたいのかというと……フランス人は変わったし、日本人も変わった。つまり、どんな国でも何かをきっかけに強豪国たりえるし、その逆もまたありえる、ということ。

 仕方がないというか、むしろ素晴らしいことではあるのだが、強い日本代表しか知らない世代の中に、アジアの他国を蔑(さげす)むような空気が芽生えつつあるな、と感じたもので。誤解だったらいいのだけれど。

 ちなみに、もしわたしが日本を追いかける立場の国の人間だったとしたら、真っ先に井原さんに声をかける。弱小から強豪へ。劣等感を自信に。何をどうしたからこうなったという彼の経験談は、欧米の指導者よりもはるかに響くと思うから。(金子達仁=スポーツライター)

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