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【コラム】金子達仁

メダル量産 「日本人」を言い訳にしなくなった表れ

[ 2024年8月15日 07:00 ]

<パリ五輪  TEAM  JAPAN  解団式>三浦大知(中央)と記念撮影に納まる選手たち(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

 フランスに本社を構える米国資本のスポーツ専門放送局「ユーロスポーツ」が制作したパリ五輪の記念ポスターが、何やら物議を醸しているらしい。取り上げられたスターたちの中に、金メダル獲得数で2位、3位に入った中国、日本の選手が一人もいなかった。アジア人差別なのだという。

 欧州に差別がない、などと言うつもりはない。ただ、IOCが制作したポスターならばいざ知らず、中国や日本では放送していない放送局が、顧客ではない地域の選手を起用しなかったのは、わからないでもない。中国や日本では大人気になった選手が、他の地域ではまるで無名ということも、十分に考えられるからだ。

 わたしはむしろ、感慨深さを覚えた。

 初めて現地に足を運んだ96年のアトランタ五輪。日本が獲得した金メダルは3個だった。スポニチのスタッフとして、フルタイムでカバーさせてもらったシドニーでは5個。まさか、日本が金メダル獲得数で世界3位になる日が来ようとは。

 それ以上に感慨深かったのは、変わりつつある日本人の意識である。

 昭和41年生まれのわたしには、たった21年前に終わった戦争についての実感がほとんどない。ただ、大人になり、海外での生活を経験するまで、「日本人は欧米人にはかなわない」「日本人は世界で嫌われている」といった思いを捨てきれずにいた。わたし個人に関しては、敗戦国民のコンプレックスと、「戦前の日本=悪」といったイメージが、しっかりと刻印されていた。

 なので、仮に20代のわたしが今回のユーロスポーツのポスターを見たとしたら、「仕方ないよな」としか思えなかったかもしれない。嫌われること、差別されることに怒りを覚えるのではなく、諦めて肩をすくめるだけだったかもしれない。

 ただ、いいか悪いかは別にして、若い世代にとっての戦争は遠くなった。世界を敵に回し、最終的には叩き伏せられた戦争の記憶より、幾度もあった凄(すさ)まじい天災とそこからの復興、さらには全世界から差し伸べられた善意の方が、自我の形成に影響を及ぼしている可能性はある。諦めない日本、世界から愛される日本――少なくとも、若いころのわたしは想像もしなかった前提である。

 正直、少しでも不愉快なことがあるとすぐに「差別」に結びつける考え方は好きにはなれない。ただ、差別に怒りを感じられるのは、自分が相手と対等だと確信しているから、でもある。

 今回のパリ五輪で、日本は多くのメダルを獲得した。これは、東京五輪に向けた強化の遺産であると同時に、日本人が、日本人であることを世界で戦ううえでのエクスキューズにしなくなってきたことの表れだとわたしは思う。フェンシングの選手も、近代五種の選手も、日本人だからといって諦めなかった。経済面では「失われた20年」などと揶揄(やゆ)される日本だが、ことスポーツに関する限り、21世紀に入ってからの24年間は栄光に満ちている。

 おそらく、この流れはまだしばらく続く。

 欧米に対する劣等感を克服しつつある日本人は、いま、大谷翔平を見ている。彼を見て育った子どもたちにとって、日本人であることは限界ではなく可能性を意味するようになる。

 あの戦争を忘れてはいけない、と多くの人は言う。ただ、記憶が薄れていくのは、必ずしも悪いことばかりではない。そんなことを思う、今年の8月15日である。 (金子達仁=スポーツライター)

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