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【コラム】金子達仁

メキシコ戦 前半勝った研究力と後半劣った適応力

[ 2025年9月8日 20:00 ]

<メキシコ・日本>前半、相手のシュートを止めに行く日本選手たち(撮影・西海健太郎)
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 1次リーグで敗退したW杯カタール大会は、メキシコ人にとって屈辱の大会、ということになるのだろう。1勝1分け1敗。それがカタールでの彼らの成績だった。

 では、3年前のメキシコは弱かったのか。そんなことはない。勝ったサウジアラビア戦はもちろんのこと、スコアレスに終わったポーランド戦も、ボール保持率、シュート数などでは完全に圧倒した試合だった。最終的に大会を制することになるアルゼンチンだけが、メキシコを相手に主導権を握った唯一のチームだった。

 ご存じのように、メキシコにはW杯を制した経験がない。ただ、30年ほど前のスペインがそうだったように、近年のメキシコは、世界王者クラスでないと押し込むのが難しい存在となっている。欧州、南米以外の地域から王者が生まれるとすればメキシコ、と言われるゆえんである。

 試合終了直後、観衆の熱気を1000倍程度に薄める効果があるらしいオークランドのスタジアムには、シウダード・メヒコやグァダラハラであれば耳をつんざくレベルになっていたはずのブーイングが、迫力なく響いた。メキシコのファンからすれば、この日の“エキッポ・トリコロール(メキシコ代表の愛称)”の戦いぶりには相当な不満があったに違いない。

 この日の日本が、特に前半の日本が、3年前のポーランドを遥(はる)かに上回り、アルゼンチンがやったのに近い戦いを見せたのは事実である。ハイプレス、というよりはオールコート・プレスに近いスタイルは、前半のメキシコにほとんど何もさせなかった。

 ただ、あえて厳しい言い方をすると、多くのメキシコ人にとって、この日の苦戦は日本が良かったから、という以上に、自分たちの出来が悪かったから、だった。彼らからすれば「こういう日もあるさ」で片づけることができる試合だった。

 日本恐るべし、という印象を刻み込むことはできなかった。

 前半の日本が世界の一線級にも負けないぐらいの試合をしたのは間違いない。日本はメキシコを窒息させようとし、メキシコは明らかに苦しげだった。では、なぜこんなことができたのか。試合前の双方の“研究力”に差があったから、だとわたしは思う。日本はうまくハマり、メキシコは戸惑った。

 では、なぜ後半はそうならなかったのか。試合中の双方の“適応力”に差があったから、だとわたしは思う。メキシコは日本に慣れ、日本は慣れたメキシコを圧倒するノウハウを持っていなかった。

 繰り返すが、たとえ1試合の半分であっても、メキシコに何もさせなかったというのはかなりの偉業である。耐えて耐えて、結局は耐えきれず、という過去のメキシコ戦に比べれば、かなりの進歩を見せたのは間違いない。

 だが、目標をW杯の優勝に置いた以上、選手は、スタッフは、この試合の内容と結果に満足してはいけない。残念ながら、90分を通じてみた場合、よりW杯優勝に近いのは、わずかながらメキシコだったとわたしは思う。そして、そんなメキシコにしても、この日の試合から判断する限り、黄金のトロフィーにキスをする可能性はほぼゼロだと断ぜざるをえない。

 W杯で優勝するような国にとって、W杯優勝未経験国とのスコアレスは“失敗”に近い。もし日本の選手が、監督が、この引き分けにわずかでも満足感を覚えているとしたら、悪いことはいわない、早々に目標を下方修正した方がいい。(金子達仁=スポーツライター)

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