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【コラム】金子達仁

圧倒6-0を恥だと思う選手はいるのか

[ 2019年10月11日 13:10 ]

<日本・モンゴル>前半、先制ゴールが決まり喜ぶ伊東(右から2人目)ら日本代表イレブン(撮影・西尾 大助)
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 日本人にとってW杯がはるか仰ぎ見るような存在だったころ、W杯に出場したチームとの対戦は特別な意味を持っていた。だから、ロス五輪の予選でニュージーランドと当たることが決まったときは、本当にドキドキした。

 結果は完敗に終わったが、W杯スペイン大会の出場国と戦えただけで満足している自分がいた。

 W杯が開催されたスタジアムでの試合も特別な経験だった。だから、初めてウェンブリーでイングランドと戦うことになったときは、仲間うちで大騒ぎになった。

 エンパイア・スタジアムに日本が立つ!66年W杯決勝の舞台で日本が戦う!

 だから、埼玉スタジアムで日本と戦うことになったモンゴルに、「いつも通りの力を出せ」というのはいささか酷な話だったかもしれない。彼らは、キックオフの前から勝利を諦めてしまっているように見えた。特別な舞台と特別な相手。気持ちはわからないでもない。

 それでも評価したいのは、手も足も出ないまま翻弄(ほんろう)され、スコアを重ねられたにもかかわらず、彼らが最後まで闘志と規律を失わなかったことである。

 アジアの中には、勝負が決まるとラフプレーの衝動に身を委ねてしまう国があるが、彼らは違った。指揮をとっていたドイツ人の監督は、一流の戦術家、戦略家というわけではなかったが、チームをまとめる人格者ではあったらしい。

 日本からすると、いささか評価の難しい試合でもあった。

 J1とJ3、あるいはJFL、大学生チームとの試合であっても、一方のシュートがゼロで終わることはまずない。この試合のシュート数32―0という異様な数字は、両国の力の差がアジア2次予選ではちょっとありえないほど開いていたことを物語っている。

 従って、6―0というスコアをもって「難しいホーム初戦をクリアした」と評価する気にはわたしはなれない。けしからん、と目くじらをたてる気はないが、手放しに喜ぶ気にはとてもなれない。日本はもっと点をとれたし、シュートを枠に飛ばせたし、相手GKにもっと仕事をさせなければいけなかった。

 何より物足りなさを感じたのは、32本のシュートのうち、「絶対に決める!」という断固たる決意の感じられたものが、決して多くはなかった、ということである。

 南野のシュートにはあった。先制点だけでなく、すべてのシュートを彼は「決める」つもりで放っていた。だが、「とりあえず打っておこう」「枠には入れなきゃ」的な決意なきシュートも、また多かった。

 これほど力の劣る相手に決められなくて、拮抗(きっこう)した試合でどうして決められるというのだろう。結局のところ、この先の目標をどこに置くかでこの大勝の評価は変わってくる。アジア予選を突破するのが最大の目標だというのであれば、文句のつけようのない試合だった。

 だが、W杯で上位に進出するのが目標だとしたら?世界を驚かせたいと目論(もくろ)んでいるのであれば?

 この6―0を恥だと考える選手がいてほしい、とわたしは思う。(金子達仁氏=スポーツライター)

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