松本零士さん、さらば SF漫画の巨匠、永遠の旅に… 鉄郎とメーテルの物語、未完のまま天国へ

[ 2023年2月21日 04:50 ]

松本零士さん
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 「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」など宇宙を舞台にした人気作品を手掛けた漫画家の松本零士(まつもと・れいじ、本名晟=あきら)さんが13日午前11時、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。85歳。福岡県出身。告別式は近親者で行った。喪主は妻の漫画家牧美也子(まき・みやこ)さん。お別れの会を後日開催予定。夜行列車で上京し、4畳半の極貧下宿生活から飛び出したSF漫画の世界的巨匠が、星の海に旅立った。

 関係者によると、松本さんは2021年末頃に体調を崩した。その後、入院するようになり、今月13日に息を引き取った。19年11月にファンイベントで訪れたイタリアで体調を崩し、一時は集中治療室に入ったが回復。その後は公の場に出ることは減ったが、翌年夏には本紙の電話取材で、20年8月に閉園した自宅近くの遊園地「としまえん」(東京都練馬区)の思い出を元気に語っていた。

 所属する零時社の代表取締役で長女の摩紀子さんは「星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いをはせ、駆け抜けた、幸せな人生だったと思います」とのコメントを発表。「“遠く時の輪の接する処(ところ)で、また巡り合える”と松本は常々申しておりました。私たちもその言葉を信じ、その日を楽しみにしています」と父へ思いをはせた。

 6歳の頃に初の自作漫画「潜水艦13号」を描いた。幼少期からSFや映画が好きで、星空を見上げながら火星人はいるのかと夢想するような少年だった。中学時代にはメガネ店の友人にレンズをもらい、望遠鏡を製作。星空にはせた思いが、その後の松本ワールドにつながった。

 1954年、高校在学中に「蜜蜂の冒険」でデビュー。「神様」手塚治虫さんの漫画に衝撃を受け、小倉駅から筆と片道切符を手に夜行列車で上京。星野鉄郎が謎の美女メーテルと旅する「銀河鉄道999」に自身を重ねて語ることもあった。

 上京後は少女漫画などを描きながら、文京区本郷の下宿で4畳半一間の極貧生活。71年に連載を始めた「男おいどん」などの「大四畳半シリーズ」は、貧乏な若者の哀愁をコミカルに描いた。

 74年からテレビ放送されたアニメ「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの企画に参加。その後のアニメブームの起爆剤となった。「999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」「クイーン・エメラルダス」など、70~80年代にかけて起きた松本アニメブームは日本のアニメ人気の礎を築き、海外にも広まった。

 「999」は2018年に新作を発表したが、未完のまま。松本さんは80歳を過ぎてもなお「描くと人生が終わりになる気がするからまだ描きたくない」と述べ、構想を練っていた。鉄郎やメーテルの物語のラストはどんなものだったのか。今ごろ銀河の彼方に向かう列車の中で、ペンを走らせているに違いない。

 ≪2001年に紫綬褒章 10年旭日小綬章≫

 松本 零士(まつもと・れいじ、本名松本晟=まつもと・あきら)1938年(昭13)1月25日生まれ、福岡県出身。陸軍パイロットだった父と武士の家系の母の間に生まれる。本業のほか、日本宇宙少年団理事長、宝塚大特任教授、京都産業大客員教授などを歴任。2001年に紫綬褒章、10年旭日小綬章。12年フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。


 ≪「ゴダイゴ」主題歌大ヒット≫ロックバンド「ゴダイゴ」は、79年公開の映画「銀河鉄道999」で同名主題歌を担当し大ヒットした。トップアーティストがアニメソングを歌うことが珍しかった時代。旅立ちの高揚を歌った曲は、走り出す999の躍動感とマッチしてアニメ史に残る名場面となった。リーダーのミッキー吉野(71)は「いつも面白いお話で、ステージなどでお会いする時にその話を聞くのが、本当に楽しみでした」と松本さんをしのび、タケカワユキヒデ(70)は自身のブログで「信じられない。現実という気がしない」とつづった。

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