蜷川さん 壮絶で幸せな演出家人生…自らの死も劇的に演出か

[ 2016年5月13日 08:00 ]

晩年は鼻にチューブをつけながら仕事をこなした蜷川幸雄さん=2015年8月撮影

蜷川幸雄さん死去

 【悼む】「蜷川ももう終わりだな、って言われたくないからいつでもキラキラ輝く舞台を作っていたい」

 車椅子と酸素吸入器を手放せないながら精力的な演出を心掛けてきた蜷川は、晩年自らの死をも意識して行動してきた。というのも周囲の証言によれば医師には絶えず「リハビリをしろ。体を動かせ」という指示を受けながら一切それらを拒絶してきた。劇的な演出を常に心掛けてきた演出家は自らの死をもあえて劇的に終えようという意思が働いていた、と見るのも決してうがち過ぎとも思えない。

 忘れられないのは80年初演の「NINAGAWAマクベス」。演出家名を冠にしたのはプロデューサーだったが、私はこの奇妙で奇抜な題名に違和感を覚え、福田恒存、浅利慶太、木村光一らシェークスピア作品の演出家を総動員してスポニチ紙上で大々的な問題提起を行ったのも今では懐かしい。もっとも以来、蜷川とはずっと犬猿の仲になったのだが…。

 「バカヤロー!」と吠えて灰皿を投げつけるのはあまりにも有名になり過ぎたが、そういつも灰皿を投げていたわけではない。ただ、気に入らない稽古をする俳優には最後まで怒ることは忘れなかった。丸くなっては演出家は務まらない。壮絶だが幸せな演出家人生だっただろう。合掌。(スポニチOB・木村隆)

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2016年5月13日のニュース