東京六大学で初の女子硬式野球部創設 明大女子硬式野球クラブ、部昇格への挑戦

[ 2022年6月15日 06:00 ]

Mの文字をつくりガッツポーズする明大女子硬式野球クラブの(前列左から)細川、藤崎監督(後列同から)冨田、川嶋(撮影・藤山 由理)
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 21年8月23日、女子野球の歴史に新たな一ページが加わった。第25回全国高校女子硬式野球選手権大会決勝が甲子園で初開催。その光景を目に焼き付けた藤崎匠生(しょう)氏(24)は消防士の職を捨て、明大に東京六大学野球の学校で初となる女子硬式野球部創設を決意した。4月に明大女子硬式野球クラブを結成。異例の挑戦と、高校、NPB公認チームなど広がりを見せる女子野球の現在地に迫った。(柳内 遼平)

 明大生田キャンパス校舎に隣接する左右非対称の土のグラウンドが、4月に誕生した明大女子硬式野球クラブのホームだ。まだ野球専門のグラウンドは手にできない。胸に紫紺で「Meiji」と刻まれた伝統のユニホーム。野球サークルから借りたため、少しゆとりがある。各学年から集まった部員は21人。9人がソフトボールと兼任し、5人は素人だ。キャッチボールにも苦戦するが藤崎監督は感慨深げに見守った。

 「野球を始めようと思ってくれた子がこんなにもいることが奇跡。考えていた4年後の光景が既にある」

 まだ技術的に試合ができる状態にはなく、主将も決まっていない。それでも選手たちは喜びをかみしめながら週4回の練習に励む。

 今春の東京六大学リーグを制した硬式野球部(男子)のように体育会の正式な部となるには一定期間の活動を積み、実績を残して大学から承認されないといけない。そのためにはまず2年間活動を続け、大学公認のサークルになる必要もある。さらに、藤崎監督が夢とする女子による東京六大学野球リーグ創設には「明治大学がきっかけになり、続く動きがあれば20~30年後にはできるかも。一生をささげてやり遂げたい」と意気込む。

 女子野球の歴史を変えた一日が人生も変えた。藤崎監督は高校時代、高知中央で主に外野手としてプレー。卒業後は地元で消防士となり、19年に母校にできたばかりの女子野球部の外部コーチに就任した。「レベルが低いとなめていた」と振り返るが、20年11月の合宿が転機となった。1年生の内野手・松本安純がノックで顔に打球を受け流血するも、涙しながら練習を続ける姿に衝撃を受けた。思いを実感し、練習に顔を出す回数が増えた。

 翌21年の夏は全国高校女子硬式野球選手権を勝ち進み、史上初めて甲子園で行われた神戸弘陵(兵庫)との決勝に進出を果たした。両校初安打で歴史の扉を開いたのは、あの松本だった。0―4で敗れた試合後、選手たちの顔を目に焼き付け「こういう子たちが、大学でも野球を続けられる環境をつくらないといけない」と誓った。43チーム(21年時点)ある高校に対し、大学はわずか8校にしか女子野球チームがない。

 この春、自ら明大に入学。学業と監督を両立させながら、営業活動にも励み、セカンドユニホームのスポンサーを6社も獲得した。休日は高校のリーグ戦を巡ってチームの周知を重ねる。男子硬式野球部の田中武宏監督にあいさつした際には「応援するよ」と激励を受けた。夢追う24歳は「子供たちに、大学でも野球をしたいと思ってもらえるように活動をしたい」と女子野球の未来を見据えた。

 ▼明大野球部・田中武宏監督 野球界全体にとって良いこと。少子化もあって野球人口が減ってきていると言われている。どういった形で協力できるか分からないですけども、大いに野球界発展のために盛り上げてもらいたいなと思います。

 ▽女子野球の現状 全日本女子野球連盟に登録された女子硬式野球のチーム数は、10年の21チームから21年までに102チームと約5倍に増加した。競技人口も15年の1519人から、21年は2533人と右肩上がり。ただ、ユース(中学生)、高校、クラブのチーム数が増加する一方で、大学は15年の7から21年は8と伸び悩んでいる。09年に創設された日本女子プロ野球機構は21年に無期限休止となり、事実上の消滅状態となった。NPB球団公認チームは西武と阪神にあり、巨人が23年からの本格始動を目指し活動を始めた。

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