【藤川球児物語(28)】ファンへの思い形に10連投10連勝

[ 2020年12月10日 10:00 ]

07年9月9日、巨人戦で最後を抑え疲れ切った表情で矢野(右)と握手を交わす藤川

 リーグ優勝した05年から藤川球児は、本紙に手記を寄せていた。ふだんの取材では出てこない素顔と本音がその中に表れていた。こんな一節があった。

 「一野球人として僕はファンの皆さんに供給する側。どれだけ感動を与えられるか?シーズンの中で、1人でも多くの人たちにいろいろなことを感じさせられるかだと思っています。だからこそ絶対に手は抜けない。全力で行く。シーズンが開幕してから最後の最後まで同じ気持ちでプレーするのがプロだと思います」

 強い思いが形となったのが07年の「10連投10連勝」だ。始まりは8月30日の広島戦(甲子園)だった。全19球、ストレート勝負。最速155キロでの長期ロード明け、甲子園初勝利がドラマの幕開けだった。この時点で3位、首位とは4・5差あった。
 (1)広  島○4―2
 (2)ヤクルト○6―4
 (3)ヤクルト○5―2

 「3連勝したからと言って、まだ何も変わらない。勝ち続けないと意味がない」と藤川は次の試合だけを向いていた。連覇を果たせなかった前年の悔しさを晴らすように、マウンドに登場していった。
 (4)ヤクルト○3―2
 (5)横  浜○6―2

 5連投となった9月4日の横浜戦(甲子園)では4点リードの9回無死一塁で登板。「ピンチやったし、勝つことが大事」と守護神は語ったが、監督・岡田彰布はセーブ規定を勘違いしていたことを認めるハプニングとなった。「セーブがつかへんのなら投げさせなかった。ちゃんと確認せなあかんな」と苦笑したが、この勘違いが10連投ドラマにつながった。
 (6)横  浜○3―2
 (7)横  浜○1―0
 (8)巨  人○9―8
 (9)巨  人○2―1
 (10)巨  人○9―8

 接戦をものにするために藤川の登板が続く。トレーナー陣から「さすがにもう無理」の声も出たが、岡田は「ベンチにいるからには戦力」と起用を続けた。9連勝で首位奪取。そして巨人戦で10連勝。「しんどかった。ほんましんどかった」。藤川も充実感の中に本音をにじませた。 =敬称略=

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2020年12月10日のニュース