佐藤茂富氏が死去 79歳 砂川北、鵡川率いて春夏6度甲子園出場

[ 2019年8月24日 05:00 ]

84年センバツでPL学園と対戦した砂川北・佐藤茂富監督(左)
Photo By スポニチ

 監督として春夏合わせて6度甲子園に出場した佐藤茂富(さとう・しげとみ)氏が19日に死去していたことが23日、分かった。79歳だった。強力打線を築き、公立校の砂川北と鵡川を3度ずつ聖地に導いた。葬儀は既に近親者のみで執り行い、教え子有志が11月2日にお別れの会を開く。

 北海道内高校野球界に大きな影響を与えた名物監督が旅立った。12年夏に鵡川の監督を勇退後、札幌市内で暮らしていた佐藤氏は今月8日に体調を崩して札幌市内の病院に入院。腸管感染症のため、19日に息を引き取った。

 野球一筋の人生だった。三笠市に生まれ岩見沢東に進学後、道学芸大(現道教育大)を経て栗山に赴任すると同時に指導者人生をスタートさせた。71年に砂川北に異動し、84年春と92、94年の夏の甲子園出場を果たした。

 函館有斗(現函館大有斗)の辞退によって出場した84年春は桑田真澄と清原和博を擁するPL学園と対戦。序盤に大量失点したが、7―18と意地を見せて話題になった。94年夏には2回戦で北海と史上唯一の道勢対決となり「2時間の兄弟けんかをしようじゃないか」と互いの健闘を誓った。砂川北は敗戦したが、試合後に両校の選手が宿舎で仲良く風呂に入ったというエピソードが残っている。

 体罰による1年間の指導禁止処分を受け、97年に56歳で鵡川に異動になっても諦めなかった。自費で室内練習場を建設するなど情熱を注ぎ、人数ギリギリの弱小校を02年のセンバツに導いた。北海道から初の21世紀枠での出場だった。04、09年春にも出場した。

 「元気、本気、一気」を部訓とし、全力疾走とフェアプレー精神を追求。西島貴之(ダイエー)や池田剛基(日本ハム)ら4人のプロ選手を育てた。教え子でお別れの会の代表を務める石狩南・高草木穣監督(51)は「常に相手を尊敬して戦う姿勢はまさに高校野球の精神そのもの。時代が変わっても色あせないし、なくしてはいけないもの」としのんだ。

続きを表示

この記事のフォト

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

2019年8月24日のニュース