斎藤佑樹が語った高校野球における初戦の難しさ セオリー無視の三盗直訴が勝利呼ぶ

[ 2018年12月6日 09:30 ]

高野連指導者研修会で講演する斎藤佑樹(撮影・森沢裕)
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 先日、日本ハムの斎藤佑樹投手(30)が「わたしと高校野球」をテーマに、東京都高野連指導者研修会で講演を行った。その際に語った高校野球における「初戦の難しさ」に関する話が、面白かったので紹介したい。

 斎藤が全国制覇を果たした06年夏。この年の早実は、前年の秋に明治神宮大会ベスト4、続く春にはセンバツ8強で、西東京大会ではもちろん優勝候補だった。ところが、初戦で都昭和を相手に大苦戦。先攻の早実は5回に先制しながら、その裏に逆転を許した。何とか同点に追いつくも、8回まで2―2とまさかの展開だった。

 9回2死二塁。ここで点を取れなければ、サヨナラ負けを喫する可能性が一気に増す。二塁走者だった斎藤は「投手のフォームが大きいし、盗塁したい。三塁までいけばパスボールやワイルドピッチも考えられる」。当時から現在まで指揮を執る和泉実監督に「三盗がしたい」とアイコンタクトを送った。すると、和泉監督は「斎藤が行きたそうにしていたから、根負けした」。セオリーを無視して走らせたという。

 斎藤はスタートを切ったが、打者はボール球を打ってしまった。ボテボテのゴロが投手へ転がった。ところが、相手投手は斎藤の突然のダッシュに驚いたように、打球を弾いた(記録は失策)。斎藤は一気に本塁めがけて突っ込み、間一髪のタイミングで生還。これが決勝点となり、早実は3―2で勝った。勢いそのままに西東京大会を制すると、甲子園では、引き分け再試合となった歴史に残る駒大苫小牧との決勝戦など、接戦をモノにして日本一に輝いた。

 このときの都昭和戦での苦戦を、斎藤は「正直、都昭和なんてという気持ちはあった。すみません。全国制覇を目標にしていたので、初戦から最大出力を持っていくことができなかった」と振り返る。それでも勝てた要因を「あの(2死二塁の)場面で、野球を楽しもうという思いがあったからこそ勝てた。(三盗が)できるならやっちゃおうという気持ちがあったから、ああいうプレーができた」と分析した。

 自信がマイナスにも、プラスにも働いた良い例のように思う。今夏の甲子園で秋田県勢103年ぶりの準優勝を果たした金足農も、振り返れば秋田大会の初戦で秋田北鷹に2―0、2戦目の能代にも4―3と苦戦を強いられてきた。試合の中で、自身をどうコントロールするかが、高校野球では重要なのかもしれない。(記者コラム 武田勇美)

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